藻類デスモデスムス属

慶州(キョンジュ) ヒョンとユニの藻類デスモデスムス属のレビュー・感想・評価

5.0
ジェル


徹夜明けだったからかしまりが悪くて、のろのろシャワーを浴びていると、銭湯にでもいるみたいに、やけになんだかさっぱりしてきた。なんでこんな感覚になったのかな〜〜?と考えて、こもってきた湯気が下からのぼりだしたのを鼻から吸いこんだからで、箱がなくてもなかみであるようなものが、長風呂だったといえばその「長」の方に風呂があるみたいに、これは状態の記憶なんだと思う。肌寒くなってきて少しずつあげていたお湯の温度も今日で44℃に

なった。あがったら窓から月でもみながら、少しだけ大きくなった息をするのもいいかもしれない。出しっぱのお湯を肩でうけながしながらかきあげると、鼓をあけたみたいになって、注ぎこむ湯にちょっと傘でもたてかけておくようにしてもたせるように各々が、黙っているということが呟きとなってしっかりながれだしているのを、通常の音としては聞こえないだけでやっぱり聞いていて、だんだん湯気とのふんぎりがつかなくなるほど襖の隙間からさしこむ光のように残されて明らかになってくるようなところがあって、そしらぬふりはしているけれどみんな元気にどこかで会えば挨拶したいし、たとえば古墳のあるまちで

すれ違う。出入り口近くに設えてある小棚に置いた眼鏡のそばに並べそろえられた角が数本あって、ここを出ればまた恐ろしい声を響かせてまわるであろう彼らも黙って骨を休め、奥の洗い場で蒸れた髪を念入りに泡だたせている背中があるはずで、角がとれた、という言葉は実際にこうしたことが発祥となっているのだろうなと考えながら、扉を引くと、チューブがおちた。ピンチがゆるくなっていて、入るときに落ちるか、出る時に落ちるか、出て閉めた後に落ちているのだけれど、入った時か、出る時か、次入る時に、はいはいといってつけなおすだけで、根本的な対処をせずを続けているのは、扉を開閉するとき以外に勝手に落ちることはないからまあいいかなって思っているからで、さすがになにもない時に力尽きて落ちるともうだめかな替えようかなという気にはなるけれど、扉に触れてそのゆれが伝わって落ちるのは仕方ないという気であるし、ピンチの問題をチューブが受けとっている形で、支えられないピンチから、落ちてしまうチューブに愛嬌があると思っていて、そもそも自分が使うものではないこのチューブの柚子のジャムみたいなジェルがなにをするものか知らないまま、こうしてときどき思いだしてはもとあったように吊るしている。