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ナイトクローラーのohassyのレビュー・感想・評価

ナイトクローラー(2014年製作の映画)
3.5
「ジェイク・ギレンホールを心ゆくまで」


不健康に痩せて、落ちくぼんだ目は明らかに不眠症で、ギラギラしているのに生気が感じられない。
一方で妙にプライドが高く、コソ泥で生計を立てるほど落ちぶれいているのに口だけは達者。

主人公のキャラクター性をほんの数分でこのくらいまで理解させる冒頭のシーンで、ああこれはジェイクギレンホールを愛でるための映画なんだなと把握。
プロデューサーにも名を連ねるジェイクギレンホールに、まさに当て書きしたと言っていい作品だ。

テレビから大統領の演説や経済ニュースが聞こえてくるなど、資本主義へのカウンターメッセージを込めているようではあるけれど、撮影がねっとりしていて客観性が皆無な分、ドキュメンタリー的なリアルさはない。
よってこれは「キャラクターモノのバリバリフィクションである」という感覚で観ることになった。

そうなると、ジェイク演じるリーのキャラクターはマンガ的でとてもよく作り込まれているし、過激さを増す取材風景などはヒリヒリすればするほど出来のいいコメディにも感じられてくる。
ひとり計算高くスクープを作り上げていく過程はさながらスパイ映画の主人公のようで、してやったりの爽快感すら(我ながらナナメに見過ぎだと思う)。
まっすぐみれば、目的のためには手段を選ばないとんでもなく自分勝手な主人公に憤慨して気分を害する作品なのは間違いなくて、その人物を見事に胸糞悪く演じているジェイクはやはり傑出した俳優だろう。
だからと言ってすごく腹が立って見ていられないわけでもなく、この後どうなってしまうのだろうと気が気でない思いをさせてくるのが、またニクい。
なんだか放っておけない人なんだ。

ところで、報道をはじめとしたカメラマンが、時に度を過ぎてしまうことが度々問題になる。
これはもちろん良くないことではあるけれど、仕事上時々カメラを構えることがある人間としては、行き過ぎてしまう感覚はすごく良くわかる。
カメラを覗いている時、真剣であればあるほど、魂が乗れば乗るほど、自分と周りの境界がぼやけて、レンズにのめり込んでしまうのだ。
ちょっとでもいいアングル、ちょっとでもいい表情、ちょっとでもいいコメント。
プロ意識が高いほど、そういうところに入りこんでしまうことになる。
これは相手に迷惑をかける場合だけではなくて、自分を危険にさらす場合でも同じなので、純粋にいい映像を撮りたいだけなのだ。
だからこそ、行き過ぎる前に止めてくれる人が、ちゃんと付いているといいと思う。
それは本作のように部下じゃなくて、上司や責任者でなくてはならない。

この撮影に入り込む感覚は、案外手軽に体験できます。
遊園地などで絶叫マシンに乗るとき、いい映像を狙って撮影してみてください。
普通に乗ると怖いのに、全然怖くなくなるんです。
不思議なくらい。
絶叫マシンでの撮影が難しければ、お化け屋敷などでもいいです。
一緒に歩く人のリアクションやお化けの怖さを狙ってみる。
そうすると、カメラマン的には怖い状況が必要になるので、お化けに驚かされるのがありがたいんですね。
怖い!じゃなくて、おいしい!と思えるわけです。

何の話かわからなくなってきましたが、役にハマりまくっているジェイクと、すっかり熟女になったレネルッソの妖艶さが楽しめる、とても面白い作品でした。
洗面台の鏡を叩き割ったシーンで、破片の残り方が神がかっているなと感心したのですが、あれジェイクのアドリブらしいですね。
持ってるなあ。
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