りんと

エクス・マキナのりんとのレビュー・感想・評価

エクス・マキナ(2015年製作の映画)
4.8
少し前に、カエルの幹細胞から形成された生体ロボット「ゼノボット」が、生殖可能であるとの論文が発表されたニュースを目にしました。
その時に、ふとこの映画を思い出したので、投稿しようと思います。

詳細なあらすじは割愛しますが、この映画の根幹的なテーマは「人間と機械の線引き」にあると感じます。
何を持っていれば、どういう姿形をしていれば、人間と認識できるのか?感情、道徳、恋愛観、社会性…それら理解し表現する人の形をした機械があったら、それは人間なのか?

その点で言えば、エヴァは人間が有する姿態、感情の機微や表現のほとんどを持っています。エヴァを目の前にしたケイレブは、間違いなくエヴァに人間性を感じています。

歌舞伎の職掌に「男性の役者が演じる女性」、女形というものがあります。宝塚歌劇団を創立した小林一三さんは「歌舞伎の女形も、男の見る一番いい女である。性格なり、スタイルなり、行動なり、すべてにおいて一番いい女の典型なのである。だから歌舞伎の女形はほんとうの女以上に色気があり、それこそ女以上の女なんだ。」と仰っていたそうです。
ケイレブが機械の身体を持つエヴァに女性を感じたのは、まさにこの点に尽きると思います。男性が妄想する女性の仕草や雰囲気の再現が、エヴァを人間として認識させる最大の要因です。

残る相違として、身体的な部分、人間が産まれた時から備えている臓器や神経の有無ですが、ここで冒頭の「ゼノボット」の話題に戻ります。
もし生殖可能な幹細胞を基に培養された身体を持つAIがいたら?血液が流れていて、痛みを感じて、子供を産むことのできる機械と、人間に何の違いがあるのでしょう?

ここまで書き起こしたうえで映画の内容に戻りますが、ラストシーンを見ると「AIが人間に取って代わる存在になる」というネガティブな感想を抱いて然りの作品です。
しかし、個人的には、人間だ機械だという論点を越えて、一つの生命が社会で生きることを寛容に捉えようとする、ポジティブな方向にも思えました(もちろん、エヴァが施設を出る過程と計画は恐ろしいの一言ですが)。

人間の雑踏に消えていくエヴァを見ると、もはや、彼女が機械であることなど全くわかりません。
上記のスペックを備えたエヴァのようなAIが、社会で普通に見られるようになる未来は、我々の思う以上にすぐそこまで迫っているのかもしれない。であれば、我々はAIとどうやって手を取り合っていくべきなのか、今から考えなければならない。
この映画を見るたびに、そう思わされるばかりです。
りんと

りんと