ラウぺ

はじまりへの旅のラウぺのレビュー・感想・評価

はじまりへの旅(2016年製作の映画)
4.2
山に籠って自給自足の生活を送る父と子供たち。
子供たちはランボー並みの戦闘力と、ハンナ並みの学識を備えた、ほぼ完璧とも思える能力を有していて、親父の望み通りに育っているように見える・・・
病気で里に帰っていた母が死んだとの知らせに葬式へと向かう親子の巻き起こす騒動、という話ですが、単純な笑い話ともいえないところがこの作品のミソ。

親父は単なるサバイバル主義者ではなく、反権力、反資本主義のかなりラディカルなアナーキストで、子供たちにもその影響が色濃く出ています。
典型的なところがクリスマスの代わりにノーム・チョムスキーの誕生日を祝うというあたり、完全に監督の趣味が反映されていると思います。
脳が錆び付いているからか、当初チョムスキーの名前を聞いて誰だったか思い出すのに15分くらいかかりました。この間、「ナウシカノーパン?状態」で映画の内容から意識が遠のいてしまいました。
自宅での鑑賞なら確実に一時停止で確認しているところ。

チョムスキーの名前を聞いたのは一体何年振りか?という感じですが、この映画で親父や子供たちが信奉しているとおり、リベラリストでアナーキスト、その方面では最右翼の論客というべき人物で、この作品で名前を出すことはそれ自体が一つの政治姿勢の表明そのものというところでしょう。2016年という製作年代的にまさに時代を反映させた設定ともいえます。
となると、これは単なるサバイバル能力に長けた最強一家が一般社会とのギャップに直面する珍道中映画としてではなく、リベラリズムとアナーキズムの信奉者が一般社会に対するプロテストを開始する、という側面を見出さないわけにはいかなくなります。
まあ、それ自体意図的に引っ張り出されたものであり、作品に奥行きを持たせるひとつの重要なスパイスとしてあえて利用されているのは確かでしょう。

一見明らかにモラルを逸脱している「食料を救えミッション」(笑)も、この親子の世界観のなかでは資本主義や消費文明に対する重要な戦いであって、親子がごく自然にそれが行えてしまうあたり、またあえてこのエピソードを入れて来るところが、この監督の強烈な意思の表れでもあるのでしょう。ここに目くじら立てるというのはある意味では常識的反応としては自然ですが、親父に共感できない、といった理由で映画のマイナス評価に影響を与えると考えるのはちょっと違うと思います。

もちろん、それに加えて物語的にはあくまでサバイバル主義者対常識的消費文明の代表者であるところの母親の父との対立や、森の中では最強の子供たちもスポック博士は知っていてもMr.スポックやナイキを知らない、エロい女の子とちょっとチューしただけで舞い上がってしまう=一般の社会生活能力の欠如、というある意味では致命的な欠陥を露呈してしまう、という分かりやすい問題に直面することになります。
そうしたさまざまな出来事があって最後の結末に至るわけですが、いろいろな思いや考えが交錯して大変印象的な作品だと思いました。

原題はCaptain Fantasticで、「はじまりへの旅」という邦題はヘンテコ題名の多いなかでは割と良いネーミングといえると思います。
ラウぺ

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