ケンタロー

エイリアン:コヴェナントのケンタローのレビュー・感想・評価

エイリアン:コヴェナント(2017年製作の映画)
3.5
コヴェナント、エイリアンとして見るか?プロメテウスとして見るか?

歓迎されない展開になりつつも、これも本シリーズの醍醐味。噛めば噛むほど味の出る、まるで炙ったフェイスハガーのような作品!

あえてエイリアン1作目と比較はせずに、暖簾分けプロメテウスシリーズとして見れば、コヴェナントは面白いし、今のリドリー・スコット監督を表す重要なピースの一つ。って言うか、80歳近くにしてシリーズ続けてくれてるリドリー・スコットにまず感謝だよ!!

前評判も芳しくなく、ストーリー展開や登場人物への不評を耳にしつつも、やっぱり子供の頃から観続けているシリーズですからね、そりゃ観ますよ。うん。

もう、こちとら前作プロメテウスで、コレジャナイ感は感じているので、免疫あるんだよ…。胞子くらいじゃ感染しないレベル…笑

で、ハードルがっちり下げて観たのだが、、、、
はい、いろんな意味でやってくれましたね、リドリー・スコット御大。
観終えた直後は、なんかね、いろんな感情入り混じった挙句、
苦笑いっていうか、ニヤニヤしちゃうっていうか…笑

《 以下、ネタバレ含むのでご注意ください 》

冒頭にどっかの作品タイトル文字って書きましたが、これは、やっぱり「プロメテウス」として見るべきですね。
もちろん「エイリアン1」にも続く物語ではありますが、そもそも、話のテーマが違ってきているので、分けて考えた方がいろいろスッキリします。
モヤモヤしなくて済みます。。。

※後々、いろいろ考察していくと、いや実はリドリー・スコットが描きたいテーマは1作目から、変わらないのかもしれない!という結論に辿り着きましたが、これは後述します。。

コヴェナントにおける、登場人物のウソだろ?っていうトンデモ行動とか、ホラーあるあるのストーリー展開は、とりあえず置いておくとして。もうね、そこにツッコミいれるのは無粋ってもんです!
サー・リドリー御大は、大局を見ておられるのです…笑

前作プロメテウスを見終えた直後のコレジャナイ感は本当に大きくて、
当時、正直ガッカリしたし、どうしたリドリー!?って思ったもんです。

今作コヴェナントで、はっきりしました。
あ、完全にそっちにもってくのねってことが、、、

いや、多くの人が違うんだよなーって思うと思うんだけど(私もそう思うし)
ですが、これを否定はしちゃいけないのが、エイリアンシリーズだと思うのです。

そう!エイリアンシリーズってのは、その時代の新進気鋭の監督が「エイリアン」というお題で個性を貫くのが見どころでもあるわけですよ。

エイリアンは、リドリー・スコットがダン・オバノンやH・R・ギーガーと共に恐ろしく不気味で且つ魅力的なクリーチャー生み出し、SFゴシックホラーという新ジャンルを作り上げた革命的作品。細かな設定とリアルなSF描写、スタイリッシュな映像表現に度肝を抜かれたもんです。

続くエイリアン2では、ジェームズ・キャメロンがお得意のアクションとメカ描写で、SF戦争アクションとして大成功。

3では、一転、派手さは無くなり、フィンチャーらしくアンバー系の色彩とドラマのトーンを統一し、人間同士の倫理観や宗教観にクローズアップしたストーリーが物議を醸しました。
はたまた、4では、ジュネによる色彩に溢れ、十八番の水を用いたシーンの映像表現と、ぶっとんだ展開が話題になったもんです。

で、プロメテウス。。。
人類の起源とか、こりゃまた壮大だな!
あれ?エイリアンは? これ繋がるのか???? はぁ!? みたいな…。

と言うわけで、リドリー・スコットは、エイリアンというお題(素材)は変えずに居ながらも、実はもう「エイリアン」はやってないんですね…笑(ちょっと語弊がある言い方ですが、、)

よくよく考えてみりゃ、監督からすりゃ文句言われる筋合いも無いわけですよ、特に「プロメテウス」においては、エイリアンの看板使ってないんだもん!笑

さて、サー・リドリー御大は、神話や叙事詩を題材にした作品も多く手掛けており、お得意(お好き)なことが伺えます。

1992年 1492コロンブス
2000年 グラディエーター
2005年 キングダム・オブ・ヘブン
2010年 ロビン・フッド
2014年 エクソダス 神と王

このとおり、5年周期くらいで歴史ものを撮っている。

で、方向性としては「プロメテウス」&「コヴェナント」シリーズと「ブレードランナー」で、リドリー・スコット的神話世界を表現しようとしているのではないでしょうか。

神話の頃から語り継がれる、神(創造主)と子(創造物)による、支配と従属、そして神殺し、繁栄、傲慢、滅び(再生?)へと連なる物語。

主にギリシャ神話や聖書を土台とし、ここに、ニーチェの哲学思想が加味されてるのです。

なぜ、ニーチェなのか?

リドリー・スコットとファスベンダーが組んだ作品である、悪の法則は、まさにニーチェの唱えた善対悪といった概念を取り扱った作品であり、監督の思想にも大きな影響を与えていることが推測できるのですね。。

以下に、ニーチェの言葉を一部抜粋してみると…
コヴェナントを観終えた後に読むと不思議と劇中のシーンを想起させるのです。

・何よりも生きているものは全て、自分の力を放出しようとするものである。生そのものが力への意志なのだ。

・公共的なものは、事物を下から眺めるのに対して、秘教的なものは事物を上から見下ろすということである。

・ある理論がきわめて有害で危険なものであったとしても、それは真理なのかもしれないのだ。人間が完全な認識を獲得することで滅びてしまうとしても、それは人間存在の根本的な特性なのかもしれないのである。 (中略) しかし、真理の特定の部分を発見するには、悪人や不幸な人々のほうが有利な立場にあること、それを発見できる確率が高いことは疑問の余地がない。

・深いものはすべて仮面を愛する。

・あなたが出会う最悪の敵は、いつもあなた自身であるだろう。

・復讐と恋愛においては、女は男より野蛮である。

・私を破壊するに至らないすべてのことが、私をさらに強くする。

どれも、劇中のシーンがフワッと浮かぶんだなぁ…。

そして、ワーグナー。

ワーグナーの楽曲『ラインの黄金』における『ヴァルハラ城の神々の入口』が重要な場面で使用されているのだけど、
これ、神々に対して、神と巨人の合いの子であるロキが「神よ、お前らはいずれ滅ぶ」なんて口にするっていう、神たる創造主への反逆行為のお話にかかる曲ってことで、まぁ!わかりやすい!笑

さらに、ニーチェとワーグナーは同性愛者として親交があったが、最後には絶交してしまうなんていう因縁もありまして、、、
このあたりは、ウォルターとデイヴィッドの描き方にもなんか重なってくるわけですよ。

なので、今後のこのプロメテウスシリーズ(プロメテウス、コヴェナント、次作アウェイク)を見る際は、

・ギリシャ神話と聖書
・ニーチェの哲学思想とワーグナー

この辺の、予備知識なりがあるとさらに楽しめると思う次第でして。

おそらくは、プロメテウス(2012)、悪の法則(2013)、エクソダス 神と王(2014)って流れでこの思想とプロットが固まってきてるんだと思ってたんだけど、
ちょっとエイリアン1作目について見直したり調べなおしてたら、驚いたことがありまして!

1作目に登場するラスト、リプリーが乗り込む第一脱出艇の名称は、ナルキッソス号なんですよ。
ナルキッソスはギリシャ神話に登場する、男ですら恋をしてしまうという、美少年。
最後には、水鏡に映った自分に恋をして、動けなくなり死に至るという、ナルシストの語源になっている人物。

そして、設定上では第二脱出艇というのがあって、この名称が、サルマキス号。
サルマキスは、やはりギリシャ神話に登場する、泉の精(ニンフ)で、なんと美少年を泉で強姦(合体)して、両性具有者になってしまうという…。

これ、別に1作目では特にこれと言って意味のない宇宙船の名前のハズなんですが、今、プロメテウスシリーズになって見直すと、大きな意味を持ってそうですよね…笑

これまた、アンドロイド(デイヴィッドとウォルター)や寄生生物であるエイリアンなんかにイメージが重なってきたりして、もしも、当時からこれらもイメージして映画撮ってたんだとしたら、リドリー・スコットとんでもないなと! とんでもない変態だなと! ※讃えてます…笑


テーマが被りすぎな感じはするものの「ブレードランナー2049」への期待が高まります。
ブレラン2049のドゥニ・ヴィルヌーブ監督起用は、ドンピシャだと思うんですよね。
「プリズナーズ」「複製された男」「ボーダーライン」「メッセージ」などの作品で、善対悪、道徳観念、超人(ヒトの革新)といった題材を扱い、観客の心を揺さぶることに長けた監督ですからね!

というわけで、一部では駄作の烙印を捺されてるコヴェナントですが、個人的にはじわじわと楽しめる作品になってきてます。

ただし、単体の映画作品としてはマイナス面もありすぎて、3.0点です。ファスベンダーの好演で0.5点アップだけど…笑

とりあえず、リドリー・スコット長生きしてくれ!
ウェイランドの如くしぶとく生きて、続きを頼む!!!