演出の無い映画は無く、また真実かどうかというよりも、第二次大戦直後の戦争PTSDとその治療の過程を扱うプロパガンダ映画を国主導で作ること自体が当時の日本ではあり得なかったことだなと。今でもか。
構成そのものもプロパガンダとしての意向が働いているよう。彼らの精神疾患が戦争ではなく、幼少期の愛着不全や家庭環境が原因のように誘導?されている。
また心理療法やレクリエーションや職業訓練での「治療」を終えすでに従軍が過去のものであるかのように市民生活に戻ろうとする彼らが、俄かに「ジョニーが凱旋するとき」に合わせて制服で行進し敬礼するという軍隊しぐさを回帰させることにより、あくまでアメリカ軍の庇護により彼らが回復したと強調するかのようなラストとなっている。彼らの笑顔に薄氷を踏む思い。
催眠療法シーンの撮影の崇高さはタルコフスキー『鏡』冒頭の催眠術で吃音を治すシーンを彷彿とさせる。
治療初期に面接する彼らのほとんどが面接官と目を合わせられない。事ほど左様に目を合わせられないことが「正常」でないことを示す。私も人と目を合わせて話せないときがある。