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リリーのすべてのケーティーのレビュー・感想・評価

リリーのすべて(2015年製作の映画)
1.0
正直なところ、個人的には全くカタルシスを感じない作品だった。
しかし、それは突き詰めれば自分が同性愛者でないからだと感じる。

先に断っておくが、何も同性愛者を否定するつもりはない。むしろ、ミュージカル「コーラスライン」(映画は今一つだが舞台は素晴らしい)で登場人物の一人が同性愛の葛藤を告白するシーンでは涙したし、映画でいえば「トランスアメリカ」なども感動した。同性愛の葛藤はよく演劇や映画の題材になっており、あらゆる作品で性やアイデンティティーの問題を考えさせられてきた。しかしそれでもなお、この作品には共感できないのである。

たしかに理屈の上では、今とは比べ物にならないくらい同性愛がタブーとされてきた時代に、リリーの葛藤は凄まじいものがあったと想像できる。
しかし、映画を観ていると、リリーの葛藤に共感できず、むしろどんなことがあっても愛し続け支え続けるゲルダが不憫に思えてならない。実際、ゲルダ役のアリシア・ヴィキャンデルがアカデミー賞を獲ったのも納得できる。

なぜリリーに共感できないのか。それは結局のところ、リリーの葛藤があくまでも内面だけで、社会との軋轢がなく、同じ葛藤を経験した同性愛者ならわかるのかもしれないが、一般の人にわかるかたちで提示されていないからだろう。
例えば、よくゲイの問題でありがちなのは父との対立である。しかし、父との対立は何もゲイでなくても誰しも大なり小なり経験がある。だからこそ、共感しやすいテーマに落としこめるのである。
また、本作ではリリーが社会的に批判されるシーンもない。人々から悪く言われるというのも、これも理解がしやすい素材なのだが、それもないのである。
結果的にリリーは外から守られ、経済的にはゲルダに支えられている。要はヒモなのであり、その精神的錯乱はわがままにも映り、時折ゲルダがなぜそこまで愛し続けるのだろうとさえ感じさせる。

ここでこの映画のもう一つの問題が浮かぶ。それは、ゲルダの葛藤の描き方が十分でないということだ。リリーは内面の葛藤以上が描けない以上、ゲルダの葛藤をもっと描くことで一般の人の共感につなげられたのではないか。
例えば、ゲルダはいっそのこと、リリーを捨てようとする瞬間があってもいい。家を飛び出すくらいの葛藤があってもいい。しかし、その時人に言われるのか、何か別のことがきっかけになるのかわからないが、やはりリリーを愛している自分に気づくのである。例えば、そんなシーンがほしい。欲を言えば、パターンではあるが、そうした場面でなぜゲルダがリリーを愛しているのか、リリーの人間性がわかるシーンもほしいくらいである。

脚本の構成やストーリーには問題を感じたが、各所の下馬評通り、コペンハーゲンの街並みなど映像は美しく、これには一見の価値がある。
二人の純愛を描くのに、コペンハーゲンという舞台設定はすごくいい。