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LION ライオン 25年目のただいまのohassyのレビュー・感想・評価

4.0
「ホテル・ムンバイ」で主演と製作総指揮を務めるデヴ・パテル主演、事実を基にした物語。

迷子になった5歳の男の子が、地球の裏側で育ち25年ぶりに母親の元に戻る。

こんなプロットを企画会議で出しても、きっと誰にも採用してもらえない。
流石に見つかるでしょ?
もっと早く帰れると思うんだけど?
地球の裏側行けないでしょ?
仮に帰れなかったとしても生き残れなくね?
そんな意見が出るだろう、至極真っ当だ。

でも「そういうことは起こりうる」ということが、本作を見るとよく分かる。
それは偶然といったものではなくて環境がそうさせたんだ、という描き方が、本作のテーマを浮かび上がらせる。
奇想天外な冒険ドラマではなく、どちらかと言えば格差社会を描く社会派ヒューマンドラマだという主張だ。

そんな物語に登場する重要な鍵が、Google earthという、ドラマとは対極にあるようなデジタルテクノロジー。
Google earthが登場した時、頭が良くない僕はその途方もない時間と予算をかけたであろうシロモノを前に、一体なんのためにこんな馬鹿げたことをするんだろう?お金余りすぎてるのかな?と、作る行為に対して全く理解ができなかった。
いや楽しいけど、これが一体なんだっていうんだ?と。

それはその後のストリートビューの登場にも感じたことで、今となってはそのとてつもない価値は分かるけれど、登場した時には理解が及ばなかった。
テクノロジーと需要を結びつけられなかったわけだけれど、本作を観るとその結びつき方が瞬時に理解できる。
つまりはこういう価値があるもので、ただのテクノロジーではないのだ。
人の役に立つものは誰もが使いたい訳で、当然のことながらそこには価値が生まれるのだ。
あらためてITの凄みを感じる。

人の役に立つ、それは多分生きる意味のようなものだと思う。
Googleのように儲けられればもちろん生きていけるし、儲けられなかったとしても何か自分の価値が見出せる以上は、生きる選択ができる。
孤児のサルーやマントッシュを引き取って、苦労を重ねて育て上げたオーストラリア人の両親たちも、きっとその苦労の中にこそ生きる意味を見出しただろう。
自分たちで子供を作るのをやめて孤児を引き取ろうという発想には、正直驚くしかないけれど。

本作といい、ホテル・ムンバイといい、スラムドッグといい、デヴ・パデルの実話馴染み感は驚異的だと思う。
そういう外見をしているのか、演技が上手いのか。
多分、いつも救いを求めているような、あの目のせいだろう。
運命に翻弄されてしまう役柄が似合いすぎる。
その目が見つめる世界は時にすごく残酷ではあるけれど、作品を包みこむような作り手のやわらかな視線と彼を取り巻く人々の優しさが、少年サルーを母親の元へ導く。
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