河

バクスター、ヴェラ・バクスターの河のレビュー・感想・評価

5.0
無音のタイトル、主人公についての噂話から、主人公の名前が呼ばれた瞬間に音楽が鳴り出して画面が切り替わるっていうすごく映画的なオープニングで始まる。その後もかなり長くその音楽が鳴り続けるからこのままずっとこれ流れてたらかっこいいなって思ってたら本当にそのままその音楽がエンドロールまでずっと反復して流れ続けたからびっくりした。
社会地位や金など名誉、ステータスのみで生きている夫がいて、常に愛人を作って外に出ている。しかしその社会地位や金は夫自身の手で手に入れたものではなく、空虚な操り人形として存在する。
その夫は画面には出てこず、一人別荘で過ごす妻の元に幻覚のように現れる2人の女性との会話が中心になっている。
『インディアソング』『ヴェネツィア時代の彼女の名前』がその土地の過去の記憶を亡霊として撮ったものだとしたら、この映画は生きながら亡霊になっている女の人の話なんだと思う。だから、インディアソングでは人々があやつり人形に動いていたのに対して、この映画では人間として動く。
後半で、2人目の女性はその別荘に昔住んでいた妻で、自殺したことが示唆される。途中に挟まれる同じ別荘の焼けた暖炉と電話のショットはその女性の時のもので、同じくその家で1人電話していて、1人目の女性はその時からその女性と友達だったことがわかる。
家具もほとんどない部屋で、死の匂いが漂うような幻想もしくは亡霊のような女性同士の会話が続く中、対比的に冒頭からの音楽はずっと幻聴のように陽気に流れ続けるし、家の窓から見える景色はずっと晴れていて自然に溢れている。さらにその家の周囲のものだろう木々や海、鳥の映像が瑞々しく映る。
ラストに、千年前に十字軍に出た夫を1人待っていた妻達段々と樹木や海、動物と話すようになり、魔女として火炙りにされたっていうエピソードが出てきて、2人目の女性は主人公とその時に会っていたことが明かされる。それによって、ステータスのみで生きてきた夫を十字軍に出た男たちと対応させて、主人公や2人目の女性を含めたそれを待つ妻たちを魔女、そしてその家の周囲の自然とする。映画内でずっと映る周囲の生き生きした音楽や自然は、家に1人でいた主人公の話相手であって、魔女でもあったことがわかる。そして、その自然は開発によって伐採されていくことも示される。
主人公が電話の後自殺したようにも見えるようになっているけど、それは曖昧にされたまま、亡霊のようだった主人公は子供への未練などを残しながら、魔女として部屋を後にして終わる。
冒頭、1人目の女性との会話、夫との電話、2人目の女性との会話の4つに分けられるけど、現実のものとして時系列に繋がるのは冒頭と電話のみで、2人の女性との会話は同じセリフに始まって同じ終わり方をする。非現実的な雰囲気も相まって、その2つの会話は同時に起きている、時系列から独立して反復しているような感覚がある。
土地の記憶、亡霊を通して過去と現在を繋ぐ感覚、それが失われていく感覚が『インディアソング』『ヴェネツィア時代の彼女の名前』と共通していて、それが非常に好きだった。アピチャッポンの映画と共通する感覚。
主人公が自殺した予感のようなものに溢れた、電話の後の鳥の群れが段々と離散していくショットがめちゃくちゃに良かった。
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