茶一郎

猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)の茶一郎のレビュー・感想・評価

4.4
 人間の男より男らしい、オスの中のオス、男の中の男、漢シーザーの生き様、人生、ではなく「猿生」をしかと見届ける。
 猿が人間を支配する惑星を描いたSF映画・旧『猿の惑星』シリーズから一変、「新『猿の惑星』三部作」は、「何故、猿の惑星が誕生したのか」までを描きながら、エイプ(猿)たちを率いた一匹のエイプ・シーザーの成長と葛藤を描いたシリーズになります。
 すでに今作『猿の惑星:聖戦記』(以下、『聖戦記』)でラストとなる新『猿の惑星』三部作は、「『スター・ウォーズ旧三部作』以来、最も成功したSF三部作」と評価を受け、特にこの『聖戦記』は、今までいくらか現実世界のメタファーとして機能していた前々作『創世記』・前作『新世紀』を飛び抜け、シーザーを指導者とするところの「宗教劇」として仕上がっていました。

 今作『聖戦記』は、前作『新世紀』にて勃発した人類とエイプとの全面戦争が激化する最中、その戦争を終結させようと争いを拒むシーザー率いるエイプたちと、逆にエイプ撲滅を狙う大佐(ウディ・ハレルソン)率いる特殊部隊との闘いが背景となります。
 すでに監督のマット・リーヴ氏は今作を作るにあたり影響を受けた8本の作品を挙げていますが、今作の序盤は、その8本の内の一本、クリント・イーストウッド監督による西部劇『アウトロー』同様、大事な者を失ったシーザーの復讐劇を描きます。復讐のために再び「エイプはエイプを殺さない」という絶対の掟を破ってしまう。シーザーは次第にコバの復讐心に侵されていきました。
 『アウトロー』は、クリント・イーストウッド扮する主人公ジョージ・ウェールズが復讐の旅を通して出会った人々と「擬似家族」を形成していく奇妙なロードムービーでしたが、今作『聖戦記』も中盤まで、やはり家族を失い復讐心に病むシーザーが新しい家族を形成していく物語を描きます。『アウトロー』におけるジョージと言葉が通じない先住民の女性との関係は、シーザーと言葉の話せない少女ノヴァ(「ノヴァ」という名前は『猿の惑星』におけるヒロインの名前)との関係に置き換わっています。

 そして中盤以降、シーザーは大佐たちに奴隷にされ強制労働を強いられているエイプたちを目撃します。
 この様子は同じく監督が影響作に上げている『戦場にかける橋』でしょう。『猿の惑星』の原作者ピエール・ブールは第二次世界大戦中におけるフランス駐留日本兵からの迫害を「猿による迫害・支配」に置き換え『猿の惑星』を描き、さらに日本人兵士から強制労働を強いられるイギリス兵を描いた『戦場にかける橋』を発表、二つの猿(日本兵)からの迫害の物語を発表しています。
 今作『聖戦記』は、ピエール・ブール氏による『猿の惑星』とは別の支配-被支配の物語を基にします。
 『戦場にかける橋』では、「橋」を作らせられるイギリス兵が描かれますが、今作は「壁」を作らせられるエイプたちを描きました。

 苦難を強いられるエイプたち、その苦難を引き起こした原因としてさらに苦悩する指導者シーザー。そして驚くことに、最終的に物語は壮大な宗教劇へと変化してきます。
 監督は『十戒』、『ベン・ハー』といった壮大な宗教劇も影響作に挙げていますが、まさに今作の主人公シーザーは、ユダヤの民を約束の地へと導いたモーセのようにエイプたちを約束の地へと導くことになるのです。

 思えば旧『猿の惑星』シリーズの二作目『続・猿の惑星』において、支配者の征服に対し「NO」と言った猿人の指導者・神が猿の世界で崇められていることが明かされ、エイプの世界にエイプ版の「聖書」があることは示唆されていました。まさにこの「NO」と言った猿人こそ『創世記』におけるシーザーであり、「新『猿の惑星』三部作」はエイプ版「聖書」=「エイプ約聖書」を映像化しようとする試みだったということが今作において明確になります。
 この「エイプ約聖書」における神はシーザーであり、今作『聖戦記』において指導者シーザーは伝説となり、その猿生は神話として語られていきます。
茶一郎

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