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ビリー・リンの永遠の一日のニトーのレビュー・感想・評価

ビリー・リンの永遠の一日(2016年製作の映画)
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問題系としては「ハートロッカー」や「アメリカン・スナイパー」に通じるのですが、ただ映像の耽美さというか寄り添い方はだいぶ思いやりがある。

これ劇場公開されてなかったんですね。結構な良作だったと思うんですけどね。

武力、ホモソーシャル、英雄論、資本主義、(「エニー・ギブン・サンデー」が示したような)アメフトの問題。それらをひっくるめてバーマン的に言えば精神分裂的精神(それはベトナム戦争から続くPTSDの問題を過分に含んでいるはず)およそアメリカの病理を包括して提示してみせたのがこの「ビリー~」だと思う。

ともかく主演のジョー・アルウィンくんが良い。顔がね、やや幼さを残しつつそれを筋肉の衣で覆い隠してその筋力の外圧で己を駆動させているような危うさを湛えていて非情に良い。

ヴィン・ディーゼルはまあ、なんというかファミリー感の象徴としてあるのかな、と。しかしそれはマッチョイムズなホモソーシャルでつながったダイムと対置させられるアンチアメリカンファミリズムな体現としているのではないか、という感じ。

無論、それは「ワイルド・スピード」=ヴィン・ディーゼルな印象から導出されるものなのですが、あのシリーズにおけるファミリー感というのをアン・リーがどう受け止めているのかによって印象が異なるのだけれど、まあ少なくとも彼にキリスト教ではなくヒンズー教の話をさせ(ガネーシャの置物ががが)ていたりするのも、アメリカのマジョリティーな価値観に対するカウンターとしてあるのは言わずもがな。

で、ビリーはその二つの価値観に揺れ動かされ、ダメ押しにチアガールからの発破によって戦場に舞い戻ることを決意するわけです。

かなりバランスを意識しているような気がする。今書いたような二つの価値観の体現者として一方ではダイムとチアガールを、他方ではシュルームと姉を。またビリーの「英雄的行為」を捉えた土管?でのカメラワークなど。もちろんそれはビリーにとってのトラウマ場面としてでもあるわけだけれど、刺殺した「敵」の顔面がアップで映し出され、じっくりと、血液が広がるまで捉えたあとにカットを割ることなくビリーの顔を映す。それによって「英雄的行為」の英雄性が相対化されるという両義性。

テレビなので120フレームとかほとんど関係なかったのですが、あれがどうなるのかはちょっと気になるところ。


どうでもいいのですが吹き替え版ってヴィン・ディーゼルの声をたいてむがやってるんですね。あの人はドウェイン・ジョンソンのほぼフィックスでもあるので、役者ネタとしてちょっと笑ってしまいました。
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