みんながみんな何かのビョーキ
この作品に感じる気味の悪さというのは、物語や映像、登場人物の描写だけではない。
もっとこう、肌で感じるような直感的な気味の悪さと不快感が充満していて終始息苦しさを覚える。
さもありなんなセットや小道具を敢えて用意することで、カモフラージュし、現実を虚構の中に埋没させているように思う。
コイツ不気味だな〜
何この薄気味悪い家!
そんな表面的なホラー要素に恐怖しつつ、観客はソレとは別に何か得体の知れない不安感と不快感を感じてるのではなかろうか?
この物語は北九州の事件や世田谷の事件をモチーフにしているのだろうとは思う。
だが、よく考えてみれば現実に起きている事件の方がヤバすぎて、とてもじゃないが物語には出来ない代物ばかり。
と、いうよりも、現実の事件こそ、荒唐無稽、現実離れしたものばかりで、もはやフィクションがソレを追いかける状況じゃないか(笑)
なぜ、そのような人間になったのか?
なぜ、その人、その家族を狙ったのか?
なぜ、殺したのか?
現実の事件でも、理解し難いことばかりが起きている。
この映画で、その経緯や謎が語られないことに驚きなんてなくても良いのかもしれない。
この事件は、マトモじゃないのだから。
もともと、この映画の登場人物でマトモなヤツなんて居たか?
高倉も、その妻も、野上刑事も、西野家の人々も、誰もが異常性を垣間見せ、単純に被害者とは思うことが出来ないモヤモヤとした不快感を感じないだろうか?
西野という男は、単に着火剤に過ぎない。
誰しもがサイコパスの要素を秘めていることを観客は、認知したくないものの、どこかでぼんやりと理解している。
コレがこの作品のいちばん恐怖するところだ。
SNSが拡がりを見せ、自己発信をする人々が増える中、SNSの人格と本来の人格が分離分裂する機会も多くなっているように感じる。
普段、柔和な人物がネットの世界では攻撃的で悪意に満ちたカキコミをしていることなんてザラだ。
そして、人間誰しも己の悪や弱さを意識し、抑え込んでいる。
西野だけがトリガーだったわけではない。
高倉もトリガーを引ける。
観客すらもトリガーに成り得る。
余談だが、映画館の隣りの席の若い男性が、まったく周りを気にせずに、スナック菓子の袋をバリバリと、噛み砕く音も遠慮なく貪っていて、まさに「クリーピー」。。。
そして、そんなヤツに強い殺意を感じた、自分もまた同じく
「偽りの隣人」なのかもしれない。
トリガーは引かなかったよ(・∀・)
虚構の裏に潜む、現実のヤバさに知らず知らず侵されていく。