2017年劇場公開
ファッションデザイナーのトム・フォードが制作、脚本、監督を務めた作品
主演はジェイク・ギレンホールだが、選考の段階ではジェイク・ギレンホールとホアキン・フェニックス、作中で極悪犯レイを演じたアーロン・テイラー・ジョンソンが主役候補に上がっていた。
トム・フォードの映画なので間違いなく繊細で美しい映画だろうと思って挑んだら、最初の3分間延々と巨デブの中年女性が体中の肉を揺らして踊っているシーンが続いて、トム・フォードの映画だと分かっていなかったら見るのを辞めて二度と見なかっただろう。
その地獄の醜悪なオープニングは主人公スーザン(エイミー、アダムス)のアートギャラリーのオープニングだったことが後から分かる。
(全身骨格標本のような細っそくて若っいファッションモデルが生息する世界に住むトム・フォードが、あの肉の塊のシーンをアートとして延々と観客に見せたのは皮肉だ。)
第1作目の「シングルマン」の時から、トム・フォードの作品の立ち位置はハッキリしている。
現代のルキノ・ヴィスコンティだと私は思っている、彼の映画はヴィスコンティ監督がそうであったように、男が究極に神々しいまでに美しく撮られ、女は獣。
昔の映画のようにセンチメンタルな美しい乙女を主役にしたように、美しい男の心情が中心に描かれる。
性別、宗教的に保守的な典型的ブルジョワ家庭に育ったスーザンは差別的な母親を嫌って反抗していた。
兄の友達だった小説家志望のエドワード(ギレンホール)と再会して親の反対を押し切って同じ大学に行き結婚してしまう。
しかし、母親の予言通り、小さなアパート住いで、売れない物ばかり書いているエドワードにだんだん失望して、ことあるごとにケンカして、自分は不幸だと思うようになり、別れようとする。
エドワードは「僕達は愛し合って結婚しているんだから乗り越えよう、大切なものは一度見失ったら元に戻れなくなる」と彼女を引き止めるが、スーザンは情熱的で野心的な新しい男性(2番目の夫)に心惹かれて、黙ってエドワードの子供を堕ろしてしまう。
その事を知ってエドワードはスーザンと別れる。
その後スーザンは西海岸のセレブが集まる社交界でアートギャラリーを夫と経営して裕福な生活を送っているが、内情は経営は傾き、夫婦仲は冷め、夫は出張先で浮気をしている。
そんな時、20年前に別れた元夫エドワードから小説が送られてくる。
当時から不眠症だったスーザンをエドワードは「夜の獣」と呼んでいた。
小説の題名は「夜の獣」
そして最初のページに「スーザンに捧げる」と書いてあった。
映画はスーザンが自宅でこの小説を読み始める所から、現実と小説の世界がリンクしていく。
小説の中の主人公はエドワード、妻はスーザン、そして16歳の娘がいる。
夜のハイウェイを走る車。
周りは荒野で人気も明かりも無い暗闇。
そこでノロノロ走る車にクラクションを鳴らして追い抜き、追い抜き際に娘が相手の車に中指を立てた事から、その車に追いかけられる。
中には見るからにガラの悪い男たちが数人乗っていて、後ろから追い上げたり、前に周り煽ったり、さらに横に並走して車体をぶつけて道路から脇道に落として車から降りてきて難癖をつけるという最悪の事態になる。
主人公の車がパンクした事から、主人公も妻も娘も車から降りなくてはならず、奴等はパンクを直しながら妻や娘を下品に冷やかす、やがて主人公の車に妻と娘を詰め込み車を乗っ取り走り去る。
妻と娘を見失った主人公は真っ暗な荒野で車から降ろされ置き去りにされる。
そして夜が明けて、主人公は道路を徒歩で1番最初に見つけた民家に駆け込み警察に電話する…。
このエドワードが書いた小説は、力強い文体で、それを読むスーザンをどんどん引き込んで行く。
小説の主人公は正義感は強いがどこまでも非力で妻と娘を守りきれない
この家族を引き裂くならず者のレイは狡く残酷で非道。
小説の中で犯人を捕まえるまで1年の時が過ぎる。
小説を読み進むうちにスーザンはかつて見失っていたエドワードの才能を再び目の当たりにし、それを愛した自分を思い出す。
⚠️ネタバレ⚠️⤵︎⤵︎⤵︎
小説の最後の山場で極悪非道のレイが主人公に向かって
「何事も相手の口のきき方ひとつなんだよ、俺をバカにしやがるならそれは侮辱だ。
だから俺はやり返す。
何者であれ罰を受けずに逃がすものか。
お前は弱すぎる
情けないほど腰抜けで、弱すぎて何もできない」
犯人のこの言葉の後、主人公は制裁を下す
小説は終わり、現実の世界ではスーザンがエドワードに「小説を読み終わった、貴方に会いたい」とメールすると
「スーザン、時間と場所は君の良い所で」と返事が来る。
夫との冷めきった生活に疲れ
子供も既に独立して寂しかったスーザンは、何年か振りで胸の高鳴りを覚えながら待ち合わせに指定したレストランに行き、テーブルでエドワードを待つ…。
この映画はとても象徴的な脚本の作りになっている。
1つ1つの台詞がラストシーンへと繋がっている事が途中から分かってくる。
トム・フォードの映画はスノッブでファッショナブルなシーンは黒と白が象徴的に使われる。
スーザンの母親が出てくるシーンでは大きすぎる白い真珠のネックレスがまるでブルジョワジーのシンボルのように映し出されている。
そしてトム・フォードスタイルとも言える
NYバーバースタイルの美しく櫛の通った男達の髪。
イケメンは沢山いるが、そのイケメンをトム・フォードスタイルの磨き上げられた美男に魅せるのはやはり髪型だろう。
ドラマ「スーツ」の主人公弁護士もファースト・シーズンはこのスタイルで通した。
トム・フォードはスーツの色に合わせて着る人物の髪の色を染めさせる。
1番のお気に入りは黒。
2番目はブラウン。
真の美を知り抜いた監督が描く醜悪と残忍さは、血が飛び散らなくても震えるほど恐ろしい。
小説の中で語られた言葉の1つ1つが
小説を捧げられたスーザンに重くのしかかる。
この映画は文学作品のように深い
しばらくしてから再度鑑賞したら、また新たな発見があるだろう。
映画が伝えてるメッセージは
「相手に対する言葉と態度に気をつけろ」
だと私は思った。
この脚本はトム・フォード自身が書いている。
ここまで象徴的な作品を作るなんて、よほど思うところがあったのかな…
と思った映画。
ヒッチコックのように怖くて
「嵐が丘」のように深い作品。
「シングルマン」では終わってしまった愛と孤独が描かれていたが、この作品では徹底的に裏切られた愛が描かれているように思う。
予想をはるかに超える暴力的な映画だが、全ては姿を表さないエドワードがスーザンから受けた(精神的)暴力と裏切りの形なのだろう。
本当は、男性の方が女性より繊細だと言われるが、男性側の心理をここまで激しい形で現した映画は他に無いだろう。
作中で結婚している時
スーザンはエドワードの作品を読んで
「自分の事を書きなさいよ、想像で書いたものは読み手に伝わらない」と言ってケンカになるシーンがある。
だから20年振りに送られて来た「夜の獣」は間違いなくエドワード本人の事が書かれている、その心情は家族を守れなかった男であり、その家族を一夜にして引き裂いた悪人は姿を変えたスーザンでもあるよう思った。
個人的感想を言うと
スーザンにはゲイの兄がいて
エドワードは兄の初恋の人だと説明がある
スーザンに小説を送ったのはエドワードだと思っているが、回想シーン以外、今のエドワードは1度も姿を表さない。
スーザンが以前、1度電話をした時も返事もせずにガチャ切りされたと言っていた。
これは全くの想像だが
トム・フォードがその兄で
妹スーザンが大切な初恋の男に仕出かした残酷な仕打ちを、思いっきり恨みを込めて「お前が彼にしたことはこおいう事だ!!」と20年越しで叩きつけた作品のように思える。
私は誕生日の月日が同じのトム・フォードを敬愛しているが、女の身としては…
トム・フォード、怖っ!!!!!!😱😱😱
と、心底震えた映画。