カリカリ亭ガリガリ

ゴジラvsコングのカリカリ亭ガリガリのレビュー・感想・評価

ゴジラvsコング(2021年製作の映画)
5.0
デカい怪獣とデカいゴリラが殴り合う映画、それ以上でも以下でもない。その姿勢は全くもって正しいと思うし、こういった映画が作られる意義は間違いなくあると思う。

面白いと楽しいは異なる感情で、個人的には「面白かったけど楽しくはなかった」という印象だった。CG怪獣プロレスは否定していない。もちろん、特撮で戦う怪獣映画が大好きだけれど、CGの進化によって顔芸しまくるゴジラとコングの対決は可愛かった。さりとて、この空虚さは何なんだろう。2014年から始まったモンスターバースへの熱が自覚的に冷めていることは否めない。デカい怪獣とデカいゴリラが殴り合おうが俺の人生には関係ないな、と達観している素振りの自分自身を、子供の頃の俺に殴ってほしい。

映画館は駄菓子屋で、『ゴジラVSコング』はただの駄菓子だ。駄菓子が人生に無関係なのは当たり前で、駄菓子に意味を求めることはナンセンスだ。そして、駄菓子は「美味しさ」さえ保証されていれば、もうそれでいいじゃないか。『ゴジラVSコング』は「美味しかった」。だけど、ここに少年時代の夏休みのような「楽しさ」は抱けないのだ。
それはつまり、本作は「映画」というよりも「喧嘩祭り/試合/タイトルマッチ」に近くて、「すげー面白い闘いを見たぜー」と顔面ニコニコテカテカすることは出来るけれど、自分自身に「残らない」と思った。
簡単に消費できるからだ。駄菓子の例で言えば、簡単に消化できる。
ぼくが求めている「映画」というのは、簡単には咀嚼できない、喉に刺さった魚の小骨のような気持ち悪さがあってほしい。それは言い換えると呪いかもしれない。毒かもしれない。駄菓子屋でふと見かけた、怪しい新商品の、あのワクワクと危うさ。安心なんか映画館に求めていない。何かを観てワア!とびっくりする瞬間を、驚き、価値観を揺さぶられる瞬間を欲求してしまう。つまり「観る前」と「観た後」では、世界の見え方が変わっていてほしいのだ。

『ゴジラVSコング』の感想にこういった思考を記すのはアンフェアだろうし、『ゴジラVSコング』は、無意味に消費可能だからこそ、素晴らしいエンターテインメントだと感じている。
だからこそ、ぼくは本作を簡単に消費してしまっている自分が嫌だし、同時に、俺はもうデカい怪獣とデカいゴリラが殴り合う姿を見ても簡単に消費出来ちゃうんだ……という判断材料にもなった。
面白かったんです。星5です。ただ、鼓動が早くなったり、手に汗握ったり、瞬きもせずに目がバキバキになったり、そういう反応には至らなかった、ということです。
(たとえば昔、映画館で『パシフィック・リム』を観たとき、体温が上昇して、暑すぎて服を脱いでインナーシャツ一枚になったことがあります)

平成ゴジラの良いところを拡大再生産し、平成ゴジラの悪いところも残しつつ、観客を楽しませようという気持ちはヒシヒシと伝わりました。毎年、年末とかにやってくれたらもちろん観に行きます。

あと海外勢から壮大なネタバレを喰らって観たのが日本の映画ファンのほとんどだと思いますが、やっぱり何も知らずに「え、うそ、え、やっぱり?、え?!マジ?!」と喜びたかったです。
詳しく書けないけれど、クライマックスバトルはあと5分長くても良かったよ。
酒かけんなクソガキ。こちとらもっと見たかったんじゃい。
設定に深みありまくり、絶対にめちゃくちゃ美味しいキャラクターになるはずだった芹沢レンこと小栗旬の無駄遣い、小栗本人が一番悔しかろう。試写の不評で結構カットしたらしいので、ディレクターズ・カット版でのレン無双に期待します。

おなじみカイル・クーパーのOP、急に怪獣トーナメント表になって、平成ゴジラみたいに後光を浴びてどどーん!とタイトル出たのは流石に笑いました。
あとパイロット乗ったままの戦闘機をコングがブン投げて、パイロットが慌てて緊急脱出するところ、ばかすぎて超面白かった。