イエス

エル ELLEのイエスのレビュー・感想・評価

エル ELLE(2016年製作の映画)
5.0
 言葉にする。その“言葉(単語)”を口にするだけで、彼女は被害者となる。被害者とは、弱き者。弱い人間だと決めつけられることである。それは、告白というよりも弱音に近く。立ち続けなければならない過去を背負った人間にとっては、泣き寝入りであり、同時に社会的に築き上げたものを手放すことに等しいのではないだろうか。この物語の主観、ELLE(フランス語で「彼女」の意味)の思惑とは――ミシェル(イザベル・ユペール)という女性が男性に向けた言葉なき、反抗(≠犯行)である。
 過去のニュースと死に際の“彼”が問う「なぜ?」がミシェルの役割を浮き彫りにする。それはつまり、灰色と名付けられた彼女が、まるで火葬していくように性と生にまつわる罪を処理していく道程だといえる。だからこそ、「ゴミの分別」と、劇中で初めて会話する隣人の妻の言葉が頼りになる。冒頭のガラスや下着をいっしょに掃き、ゴミ箱へ入れる場面。彼女の家へ窓から入り込もうとして猫に噛み殺されて死んだ小鳥(“彼”のメタファー)、親友の夫の分泌物、そして母親の遺灰と、死を受け入れた父親。辿るゴミに分別されるものたち。最後のシークエンスで描写される、父親の墓碑の落書き“ASSASSIN(殺し屋)”が、同じ轍を踏まなかった彼女の決意を物語る。復讐。しかし、手を汚さずに思い描いた理想の復讐を、と。
 被害者である“彼女の場合”の答え。加害者に味あわせてやりたい幾重もの妄想が、言葉なき(台詞に頼らない)たった1つの結末へと突き進んでいく。もしも、自分も同じ目に合ったら? 映画『エル ELLE』が見せてくれるif。復讐の術と頑なな意志を、女性に。こうなることになるぞという脅迫を、男性に。そして、社会に向けて映画的話法で説き示した、強き女性像の1つの在り方。
 彼女――ミシェルが小さくほくそ笑んだ一瞬の表情が、気持ちの言語化以上のものを突きつける。こちら側も笑みがこぼれてしまう同調。彼女と一心となるこちら側(その被害を共有した者)に、映画体験の新しい領域を歩ませてくれる。被害者の気持ちは、同じ被害に合わなければ理解できない。すべてを共有する(したがる)時代への挑戦的な咀嚼。彼女の傷と快方が、罪たちの抑止をこちら側にも刻み込むのである。映画『エル ELLE』は想像力の代理だ。観賞するだけで「酷い目に遭う」その共感は、被害者を立ち向かわせ、加害者をつくらないための最後の犠牲者(ELLE=彼女)なのだと思う。
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