イエス

幸福なラザロのイエスのネタバレレビュー・内容・結末

幸福なラザロ(2018年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

労働とは。対価とは。貨幣とは。そして、幸福とは何か。

 あえて結末から物語を紐解くのなら、ラザロが暴行を受けて息絶えた銀行という存在を問いたい。対価は人間の時間(寿命)が労働として代わったものだ。その余りとしての貨幣が預けてある銀行は、この物語においての搾取の最上位といえる。人間が人間の搾取をしたのなら取り返せるものが、人間ましてや人類の上に生まれた銀行では話が違う。ラザロの質問に答えた「ここにお金(存在)はない」と返した銀行員の一言は、現代の電子マネーにも通じる解釈ができる。数字上として存在する貨幣は、もはや形を有していない。無形の電子機器の記録された“何か”には時間にも似た、けれども、人間の記憶という頼りのないもの、主観と客観では不確かなものになりえるものが、実在の本質をこちら側に問いかける。
 村の人々には賃金というものが存在しなかった。しかし、衣食住にはランプのための電球が不十分ではあるものの、最低限には生きていくことができた。村を出た彼らはどうだったか。労働にありつけなければ、食事にありつけない。あす生きるための糧に強盗をする。だが、ラザロが食べられる野草を教えると、生活は一変する。食べるもの。本来は自給自足ができていた村では、自らで採取できたもの。貨幣を通さなければ、または強盗でもしなければ、得られなかった食べ物が、労働の本質を突く。生きるためには食べないといけない。食べるものは作ればいい。(見つければいい)介在する対価、貨幣を得なくても、農業を労働として完結させてしまえばいいのだ。
 衣食住について、ラザロは象徴する。村での日々で、ラザロは同じ服であり続ける。一着しかない服。村を出た先での服は施しで、彼には一切の所有がないことがわかる。物語の中で、ラザロは食べ物を口にしない。冒頭のお祝いの場では食べ物にありつけず、自らが貰った珈琲は他者に勧めるために作り、病気のために貰えたパンですら友人に与える。では、住はどうか。病気のため、ベッドを申し出る場面では、誰もが首を振る。やっとのことで床をもらえた時点で、ラザロには家ましてや居場所というものがないとわかる。唯一は村はずれの山頂。誰も知らない隠れ家には、ボロ切れだけが敷かれていただけ。持たざる者のラザロ。望むものはなくとも、望まれことをただ受け入れるだけの存在。だが、ラザロにとって、兄弟と認めてくれた、理解を示してくれた伯爵夫人の息子タンクレディだけが、彼の望むものを灯してくれるのだった。
 搾取の構造が垣間見える物語で、ラザロはその最下層に位置する。「いちばんの働き者」と言われる(揶揄される)ラザロ。しかし、銀行で暴行を受けているときの罵倒には「働け」とある。融資を受けに来た人々の強盗(労働という対価を払わずに楽に金を得ようとする行為)に対する嫌悪は、ラザロを知っている人々(こちら側)には、ただただ矛盾が生じている。奪われたものを取り返す権利がある最も適した人物であるはずなのに。ラザロの動機は、友人であるタンクレディに向けたものだ。
 では、労働とは何か。対価とは何か。貨幣とは何か。解釈するのなら、それは容易に1つにまとめることができる。貨幣が価値の保存であるのなら、それは余ったものだ。余裕を生んでくれるものではあるが、預けるほどの、使い切れないほどの、分け与えるには惜しくなるほどのモノに変質してしまっては、もはや本質は保身のためのものともいえる。「生きる糧のための行為」が、あらゆる業種業態の労働に紐づくとしても、それに対価が等しくないのであれば、価値は左右される。ラザロが最初に再会した村人の“仕事を請け負う人達に対価を下げさせる場面”は、現代の“いま”を象徴している。安ければいい、安いほうがいい。人間の限りある時間(寿命)を差し出した、等価ではない労働の対価。平等の訴えは、不平等を感じた者が主張するもの。けれども、不平等を強いれる者は搾取ができる側だ。労働にも対価にも、もはや均衡などは存在しない。あるとすれば、その労働が自らが生きる糧に直接つながっているものだけだ。ラザロがした搾取を強いて挙げるとすれば、収穫だ。既に在るもの。自然から採れるもの。自然の循環のなかでは、恩恵とするもの。村人が強盗や嘘をつかなくてもいいと、安堵したものだ。
 題名『幸福なラザロ』の“幸福”とは何か。結末の悲惨極まりないラザロへの仕打ちからは程遠い幸福。持たざる者、望まれればすべてを差し出す者が唯一望んだもの。それは、友という存在だろう。崖から落ちて尚、じぶんの帰りを待っていると信じ、あらゆることを二の次に、優先した友人という存在。たった一人の、心が許せる相手。恐れられたオオカミの遠吠えを真似し、友人さえいれば、その脅威よりも上位の存在になれたこと。何不自由なく生きていくこともできたタンクレディが、渇望していたもの。互いを理解できた時間と、たった一人でも理解者がいることの幸福感。持たざる者が唯一望んだ、お金なんかよりも価値があると信じたもの。幸福は、友を持つことだと思う。
イエス

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