イエス

ライフのイエスのレビュー・感想・評価

ライフ(2017年製作の映画)
5.0
 良かれと思ったことが裏目に出る。人生において最も不幸なことは、善意が反転することだと思う。日本の諺には、“情けは人の為ならず”というものがあるが、人類が人類であるためには欠かせないものではないだろうか。そこには、“助ける”という普遍的な選択があり、人類が文明の頂きを築けたのも、手を取り合えたからこそ成せたのだといえる。
 1カット長回しのオープニングが物語る。判断と選択が飛び交うなか、差別的な発言をユーモアに、火星探査機の回収が描写される。投げ込まれた球がグローブに収まるかのように、地球外生命体の“生存(LIFE)”が確定する。地球外生命体の彼(のちにカルビンと命名される)の視点でならば、人類が助けてくれたともいえる。
 今作『ライフ(原題:LIFE)』は、国際宇宙ステーション(ISS)を舞台に、6人のクルーと1体の地球外生命体との“生存(LIFE)”を賭けた選択の物語である。SF(科学的な空想にもとづいたフィクション)ではあるが、起こり得る近未来であり、2017年でも通用する現実味がそこにはある。
 仲間を助けるという行為が最初の犠牲者を生む。航空エンジニアのローリー(ライアン・レイノルズ)は、宇宙生物学者のヒュー(アリヨン・バカレ)をカルビンから救うため、身を呈して行動する。カルビンに手を粉々に折られ、意識を失ったヒューの代わりとして。助けるという決断の場面。クルーは口々に“隔離”という規定にのっとり、選択を迫れる。人類が人類であるための行動心理と対となるかたちで。
 物語には徹底した原則が垣間見える。自己犠牲だ。助けるか、助けないかの選択を常に突きつけられ、助けるを選び続けた人類は、付随するかたちで死を招いてしまう。疫病検疫官のミランダ(レベッカ・ファーガソン)は、事の元凶となったカルビンを「ただ憎い」と口にする。生存本能で生きるカルビンの行動原理を、頭で理解しつつもだ。

良かれと思ったことが、裏目に出続ける。

 物語の終着点は、ABの選択肢で結末を迎える。地球へ帰還する脱出用ポッドと、カルビンを地球から“隔離”するための脱出用ポッド。しかし、目的は叶わず、人類にとって最悪のシナリオを迎え、カルビンにとっては生存(LIFE)というハッピーエンドとなる。そして、題名が指し示す意味がだれのための物語・視点なのかをここで浮き彫りにする。
 海の上に不時着した脱出用ポッド。漁師たちは小舟で駆け寄り、脱出用ポッドを伺う。言葉の通じない狭間で、医師のデビッド(ジェイク・ギレンホール)は助けないでくれと伝えるが、漁師たちには届かない。カルビンを“隔離”するはずが、意図とは逆行し、人類は助けるを選択する。上空からの引きの画が海に浮かぶ脱出用ポッドに集まる船、船、船を映す。感動的なはずの救助も、助けるという行為が絶望的なエンディングを拡大していく。宇宙の彼方へ地球から遠ざかる脱出用ポッドで、ミランダが絶叫する。「No!」。この物語にYesはいないのだ。
 これから来る人類最悪の未来。映画はここで終わりを迎える。暫しの沈黙のあと、エンドロールとなり、1969年に発表された『スピリット・イン・ザ・スカイ(原題:SPIRIT IN THE SKY)」の曲が流れる。牧歌的で穏やかなロック・サウンド。似つかわしくないほど、ポジティブで底抜けに明るい楽曲だ。アメリカ合衆国のシンガーソングライター、ノーマン・グリーンバウム(Norman Greenbaum)が手がけた歌詞は、全編イエス・キリストに対する讃歌で、歌詞の登場人物をカルビンに置き換えることにより、彼への生きようとする姿勢が人類にとっては残酷でも、晴れ晴れしいものへと変化する。解釈の逆転現象ともなり、二度目の鑑賞では感情移入をカルビンとしても楽しむことができるのも今作の特徴といえる。
<歌詞の和訳は以下の通り>

 * * *

死んで、埋葬された僕は
素晴らしいところへと向かうんだ
僕が死んで、静かに横たわるときには
精霊に会うために天へと昇っていくのさ

精霊に会うために天へと昇るよ
(Spirit In The Sky)
そこは、死んだらいくところ
(僕が死んだらね)
死んでしまって、埋葬されたあとは
最高に素晴らしいところへと向かうのさ

さあ、準備はできたかい
大事なことだからいっておくけれど
イエス様とは必ず仲よくしておきなよ

それは死んだときによくわかるさ
彼はきみを精霊にしてくれるんだから
(Spirit In The Sky)

彼はきみを天の精霊にしてくれる
そこは、死んだらいくところ
(きみが死んだらね)
死んでしまって、埋葬されたきみは
最高に素晴らしいところにいけるのさ

もちろん僕は罪人ではないし
何ひとつ過ちなんて犯してはいない
なんせ僕はあのイエス様と友だちなんだぜ

僕が死んだら、きみにもわかるさ
彼は僕を天の精霊にするつもり

彼は僕を天の精霊にしてくれるのさ
(Spirit In The Sky)
そこは、死んだらいくところ
(僕が死んだらね)
死んで、埋葬された僕は
その素晴らしいところへと向かうんだ

素晴らしいところ
最高に素晴らしいところへ
そう、僕は天へと昇っていくのさ

 * * *

 物語の台詞には“隔離”というキーワードが度々登場する。2017年の世相を反映した言葉に、第45代アメリカ合衆国大統領のドナルド・トランプが連想される。クルーたちのやりとりにも、国境や人種差別を象徴する言動が伺え、今作『ライフ(原題:LIFE)』のもう1つの側面を浮かび上がらせる。時代の問題提起は、ラストのシークエンスが答える。人種を越え、言葉が通じない漁師たちが示した、“それでも、助けてしまうのが人類”というメッセージだ。皮肉ある人類にとってのバッドエンドだが、ここにこそ、最大のカタルシスがある。それは、カルビンの顔だ。細胞から成長し、クリオネ(別名:天使の顔した悪魔)を辿って、軟体生物の形状となり、ついには顔をもったカルビン。誰かに似ていないだろうか。ドナルド・トランプだ。だからこそ、こちら側の世界で本来“隔離”しなければならない相手を暗示し、やりかえす意味で、風刺的なカタルシスを増大化させる。ドナルド・トランプをまず“隔離”すべきだと。(※深読みあり)
 人類が人類たらしめる行動。助けるという行為がもつ意味を、今作『ライフ(LIFE)』は賛否をもって教授してくれる。助けるか、助けないかの話ではない。バッドエンドでも、ハッピーエンドでもない。あるのは、人類は手を取り合う(取り合える)生き物なのだということ。地球外生命体のカルビンが生存本能だけで生きるからこそ、人類が、人間と人間とが、争うことの不毛さを投げかけるのだ。細胞のカルビンが人類と交わしたファーストコンタクト。1982年公開のアメリカのSF映画『E.T.』を思わせる、触れ合う指先と指先の位置が『E.T.』と違い逆転しているからこそ、友達になれなかった場合のシナリオで啓示する。その後の握手での裏切り(握手は相手への友好と信頼を表すもの)が、意思の通じない相手を明示し、手を取り合える人類(仲間)がいることの大切さを、まさに今、訴えているのだ。

※補足1
 題名『ライフ(LIFE)』の意味は、多様な解釈をもっている。物の本によれば、まず「(個人の)生命、 命、生きていること、生存」が挙げられる。これは、生き残りをかけた6人のクルーや人類、カルビンに掛かる。ほかに「寿命、活動期間、耐用期間、継続期間」が示す意味では、人類としてのこれからの範囲にも掛けることができる。「生物、生命体」はもちろんカルビンを示し、「活気、活力、元気、生気、活力のもと」などは、カルビンの生き生きとした行動原理にも掛かってくる。「一生、生涯、人生、世間、世の中」も広義の意味をもたせ、クルーの半生にも結びつけることができる。「A〈物事〉に新しい命〈新風〉を吹き込む」「 A〈人〉の意識を取り戻させる」「Aを生き生きさせる、活気づかせる」も描写として重なる場面が浮かぶ。「〈悪い予感などが〉現実のものとなる」「⦅かたく遠回しに⦆この世を去る、死ぬ」は、物語の全体像を想起させる。「⦅くだけて⦆(特に危険な状況を避けるため)必死で、命がけで〈耐えるつかまるなど〉」や「《…のために》自分の命を犠牲にする」は、クルーの奮闘っぷりを。「A〈人〉を怖がらせる, 震えあがらせる」はこちら側の観客に向けてだ。

※補足2
 今作の「助ける」を英訳するならば、「Saving(救助)」の単語が適切だろう。意味には、3つの広義が含まれているからだ。①「救助」は、劇中での度々ある行為。②「 節約、貯蓄」は、酸素への捉え方。また、「Save」には「過剰にならないようにおさえること、抑制」が意味にあり、地球にこれ以上の人口を増やさないという深読みもできる。そして、③「ラグビーやサッカーで,身を投げ出してボールを止めること」は、冒頭の1カット長回しの救出劇にも重なる。
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