ティムロビンスに激似

マンチェスター・バイ・ザ・シーのティムロビンスに激似のレビュー・感想・評価

5.0
彼、リー・チャンドラー(ケイシー・アフレック)は逃げ続ける。

故郷であるマンチェスター・バイ・ザ・シーに遺した過去から逃げ続け、活き活きとすることからも逃げ続け、目の前の雑務に没頭する。
黙々とアパート管理人の仕事をこなすものの、住民からの好意や敵意、善意すらも等しく冷たくあしらい、「煩わしい」人間関係から逃げ続けている。
1日の終わりにはバーでひとり酒を飲み、突如何かが憑依したかのように暴力衝動を剥き出しにする。

そんな彼の姿は、ともすれば変人であり、廃人であり、堕落した人間にも見える。
しかし、私はそんな彼の姿に修行僧にも似た敬虔さすら感じてしまう。
それは何故だろう?

リーのもとに兄の死という報せが来る。そして、甥に当たるパトリック(ルーカス・ヘッジズ)の成年後見人を努めざるを得なくなる。
パトリックはリーとは違って、立派で現実的であるように「見える」。
故郷に留まり、変わらない日常を過ごすことを欲し、複数の彼女の家を渡り歩き、バンド活動にのめり込む。
あまつさえ、叔父であるリーの態度を諭すこともする。
しかし、ある晩、自分を抑えきれず、突如として取り乱し、混乱した姿をみせる。
パトリックも父の死という現実から逃げ続けていたのだ。

リーと相反するようなパトリック。しかし、パトリックもまた、リーと同じように何かを吐き出さんとするのを耐えるかのような表情で、変わらない日常を健気に生きようとしている。
その姿はまるで、神仏に帰依し、無心に修行に励む修行僧を思わせるのだ。
しかし、無宗教の彼らには、修行僧にとっての宗教に当たる拠り所がない。
そのため、彼らは惑星のように逃げ惑い、過去や現実の周りをクルクル回り続け、時には近づき、時には遠ざかるしかないのだ。

そして、ラスト。
リーはやはり逃げることを選択する。
物語はそれを否定も肯定もしない。
ただ、慈愛に満ちた眼差しで彼らを見つめ、幕を閉じる。