このレビューはネタバレを含みます
「失せろ、人間もどき野郎」
落書きされたドアを開き、Kは自宅のアパートに戻る。
明かりをつけると、朗らかな音楽が鳴り、奥から女性の声が聞こえる。
「今日はどんな日だった?」
Kは食事の準備をしながら微笑み、明るく答える。
「いつもと同じさ」
Kは窓に向かって独りテーブルに座り、先ほど作ったレトルトのパスタを置く。
「お口に合うかしら」
おもむろにレトロなダイナーのウェイトレス風の服装をした若い女性が現れ、Kに話しかける。
彼女の名前はジョイ。ウォレス社製のホログラムソフトウェアだ。
「今日はプレゼントがあるんだ」
Kは包みを開けると、ジョイ用のモバイルデバイスを取り出す。
「これでどこでも出かけられるよ」
Kがコンソールを操作すると、ジョイは天井に設置してあるハードからモバイルデバイスに転送される。
「嬉しい」
感激のあまりKに抱きつくジョイ。
しかし、彼女はホログラム。Kは触れたくても触れることができない。
食事を終えると、アパートの屋上に出るKとジョイ。
しとしと雨が降りしきる中、ジョイは恐る恐る外に出る。
雨がジョイのホログラムのボディを揺らす。
ジョイは目を瞑り、雨を感じようと両手を広げて雨空を仰ぐ。
やがて、Kの元にジョイが寄り添い、二人は口づけをかわそうと・・・。
この一連のシーンを、特に2度目以降の鑑賞時には涙無くして観ることができなかった。
表情豊かなジョイに対し、表情に乏しく終始哀しげなK。
二人ともつくりもの。しかし、そこにあるのは確かな愛。
「真実」に行き着き、苦悩するKにジョイは声をかける。
「貴方は特別なのよ。だから名前があるべきなの。貴方は”ジョー”よ・・・」
彼女が何故Kをジョーと名付けるのか、観客は、その理由を後半で知ることになり、胸を締め付けられるような想いに駆られるだろう。
ジョイは一見、ひたすらKに従順に見える。
しかし、Kが”女性”と絡む場面で、ジョイの起動音(”ピーターと狼”のイントロ)が流れる。
「アタシのジョーに馴れ馴れしくしないでよ!」
というジョイからのヤキモチのサインだ。
なんと可愛いらしいことか・・・。
肉体を持ち、移植された記憶とともに生きるレプリカントであるKに対し、肉体を持たないジョイはもっと即物的なプログラムだ。
それゆえに、レプリカントの娼婦からも「貴方の中身は空っぽよ」と揶揄される。
では、ジョイのKに対する愛情はプログラムに過ぎないのか。
しかし、それは作中で明確に否定されていることを断言したい。
ラスベガスでデッカードの居場所を突き止めたKとジョイは、ラヴが率いるウォレス社一味の襲撃を受ける。
ラヴは圧倒的な攻撃力でKを追い詰め、トドメを刺そうとする。
そこにジョイが現れ、「止めて」とラヴに訴える。
ラヴは冷酷にもKにトドメを刺さずに・・・。
感情のないプログラムに果たして「自己犠牲」の精神はあるのだろうか。
このジョイの行動は、身を挺して恋人を護らんとする「人間」の行為そのものだ。
Kは大義のために人間らしく死んでいく。
ジョイもまた、愛する人のために人間よりも人間らしく死んだのだ。