ティムロビンスに激似

オールド・ボーイのティムロビンスに激似のネタバレレビュー・内容・結末

オールド・ボーイ(2003年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

同窓会の場で、少年時代に何気なく行ったことについて同窓生から指摘される。
それが相手を不快にさせていたことだったり、相手のその後の人生に負の影響を与えていたとすれば罪深い。
ましてや、やった本人は全く覚えていないのだ。これは相手にとっては救いがなく、本人にとっても知った頃には手遅れで、償うにも償いきれない。
多かれ少なかれ、誰しもそんな経験があるのではないか。

本作の主人公オ・デスはそんな類の「原罪」を負い、そして、その「贖罪」を迫られることになる。
オ・デスが15年もの禁固刑に処された罪状を知ると、その何気なさ過ぎるほどの無邪気な理由に戦慄を覚える。
ひょっとしたら、自分もやっていたかもしれないことだからだ。
人の負う「原罪」とは、負っている本人には預かり知らぬものなのだろう。
それだけに、「贖罪」を行うには多大なる犠牲を払わざるをえないのだ。

本作はご存知の通り、土屋ガロン(狩撫麻礼の変名)原作、嶺岸 信明作画の日本マンガが原作である。

原作と対比すると、基本プロットは同じであるものの、主人公の禁固刑の罪状が大きく異なる。
原作はサイコパスやアウトサイダーにとっての実存的な、アイデンティティの危機を問うものだが、本作はキリスト教的な「原罪」とその「贖罪」が前面に押し出されている。
主人公の母校がキリスト教系の高校であることや、近親相姦をタブーとするところは、それを分かりやすく明示している。

そのため、賛否の分かれる結末は、キリスト教的な目線で読み解くことができるのではないか。

キリスト教的な考え方に沿えば、「贖罪」の後には「赦し」があるはずである。
オ・デスの場合は、自分から別れたもう1人の自分「真実を知るモンスター」を十字架に架け、真実を忘却し、愛し合ったことだけは真実であるミドと添い遂げることが、彼にとっての「赦し」に当たるのではなかろうか。

そのため、私にとって本作の結末は決して後味の悪いものではなく、慈愛に満ちた救いのある結末だったのではないかと思う。