ティムロビンスに激似

牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件 デジタル・リマスター版のティムロビンスに激似のレビュー・感想・評価

5.0
少年少女による殺人事件がニュースで流れる度に思うことがある。
彼(彼女)が人殺しをせざるを得なかったのは何故なのか。
しかし、彼らが殺人に至った具体的な経緯を知ったところで、彼らの心情は何も分からないだろう。
では、映画の登場人物となればどうか。

本作の主人公、小四(シャオスー)や、ヒロインの小明(シャオメイ)はとても寡黙だ。そのため、彼らが本当は何を想い、何をしようとしたのか、直接的に語られることは殆どない。
映画は冷酷なまでに淡々と事実を切り取り、観劇者に提示するのみだ。

その代わり、学校や映画スタジオ、通学路といった小四や小明を取り巻く「世界」が、彼らの心情や状況を暗喩する役割を担っている。
長閑な草原の彼方で、軍の演習による砲撃が響き渡る。
雷雨の轟音と人のうめき声と、暗闇を劈く懐中電灯の光。
暗闇の向こうからバウンドしてくるバスケットボール…
我々は、こうした様々な忘れ得ぬ風景や演出から、儚く朧気な小四と小明の心の機微を汲み取るしかない。

ある人物を待つために映画スタジオにぽつねんと佇む小四のもとに、映画監督がやって来て声をかける。
「この前、君と一緒にいた子の連絡先知らないか?泣くのも笑うのも、とても自然で感心したよ。」
小明のことだ。しかし、尋ねられた小四は映画監督をきっと睨み返し、こう言い放つ。
「なにが自然だ?そんな見分けもつかずに映画を?笑わせるよ」

彼らの気持ちが分かったつもりでいた私が、小四から強烈な平手打ちを喰らった瞬間だ。
4時間弱の極めて長尺な上映時間、彼らと長く付き合った気でいた。
でも、最後まで本当の理解にまでには至らなかった。
私は圧倒的なこの映画の力の前になすすべもなく、呆然とエンドロールを眺め、劇場を後にした。

そして、今、私が想うのは小四が、小明が、我々に訴えようとしていたメッセージだ。
しかし、それらのメッセージは、小猫王が小四に贈ったレコードテープの様に、誰にも聞かれることなく破棄され、「変わらない世界」の瓦礫の中に消えていくのだ。

ちなみに、観劇後はお尻の皮が二倍くらい強くなった様な気がする。