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田園に死すの10000lyfhのネタバレレビュー・内容・結末

田園に死す(1974年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

主人公の映画監督が、映画中映画で少年時代の鬱屈を回想的に表現し、さらにその映画内世界に入り込んで過去の修正を試みる、寺山の自伝的メタ映画。製作当時としては、世界的にも先進的なメタ映画だったと思われ、「映画内世界と現実世界の融合、混乱」はパプリカ、脳内ニューヨークの先駆。ただ、「手段が目的」では?(単にメタしたかったんか?)なレベルまで、やり過ぎ感も(劇中監督「私」の生年月日が映画製作年の昭和 49年設定、「これ(外枠の作品全体)は映画だ」とナレーション、など)。数多くの映画からの影響がミックス:ロブグリエ、ホドロフスキー(作中で映画批評家が、私がホドロフスキーに類似性を感じる作家ボルヘスに言及)、ゴダールらの、潜在意識の表出や性的イメージや死体と血、そしてフェリー二の白塗り顔やサーカス。率直な感想としては、目指すものに共感はできるが、最終的なアウトプットが自分の好みでなかった。照明またはフィルタによる、サーカスシーンの複数の色相が最も印象に残った
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