ベルサイユ製麺

カフェ・ソサエティのベルサイユ製麺のレビュー・感想・評価

カフェ・ソサエティ(2016年製作の映画)
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『マッチポイント』辺りからちゃんと追っかける様になった、猛烈なニワカなものですから何を言っても説得力ゼロだとは思うのですが、今作はいつもと何かが違って思える。
ものの10秒も見ればそれと分かるルックはこれまでとなんら変わりなく、卓球中継の如きトークの掛け合いも(ジェシーのスキルも相まって)いつも以上に冴えている。となるとやはりこちらの気持ちの問題なのでしょうかね…。

描く対象すべてをアウトボクシングでいなし、アングル・視点の移動だけで神の様に人間の営みそのものを嘲笑り、或いは慈悲深く見つめてみせたり。しかし、箱庭を統べるプチ賢者殿は、実際は腐臭漂う悍ましいゴブリン野郎であることを我々は知ってしまった。いかなる者も時計の針は戻せない。
今となっては、街と営みへの賛歌も、耳に心地よいニガ甘い人生訓も、“愛”への妄信的な信頼感も、全ては都合良く捻じ曲がった虚構だったと思わざるを得ない。
彼はずっと自分の事しか考えていなかった。
忙しく精力的に働き成功を収めた頼れる大人の男も、何も持たず未来だけはある小賢しい若者も、その二つの間で揺れ動く知性的で美しい小娘も、全てがウディ自身。彼が、彼を愛したり嫌ったり殺したり都合よく救われたり。何が「車のライトを見て動けないシカ」だ。それこそ今のあんたの事だろ。
とにかく時間は戻せない。夜になる前に道を渡ることも、車道を通らないことも、そもそもシカに産まれないことも。これってそういう映画でしょう?

今作のクライマックス。…流れに任せ、若くして愛も、金も、地位も手にした、いまはそれぞれの道を歩む2人が、一瞬共通の分岐点を振り返り、まるでタイムラインを外れてしまったみたいに晒して見せる無防備な、あの表情。
…煌びやかなだけのゴミ屑の中に、こんなにも美しいものを忍ばせる事が出来る才能を、こんな最低の人間が有している事こそが最も罪深い。

多分もう一本は観ると思います。その次は、きっと無いだろう。ウディには、“シカが車にはねられる”みたいな、極めて陳腐で映画的なラストを望みます。