ベルサイユ製麺

魂のゆくえのベルサイユ製麺のレビュー・感想・評価

魂のゆくえ(2017年製作の映画)
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人生という旅の終焉が近づいている事を悟った牧師トラーは、最期の瞬間の迎え方、命の費やし方について思い悩み…そして、


…この映画、分からない事がホント多くてね。
トラー牧師は自らの体調の異変に気付きつつ、何故検査を受ける事を先延ばしにしたんですかね?受けたく無いのなら、べつに最後まで受けなくても良いような気がするんですが。彼の信じる教義と何か関係するのかな?それとも背中を押されたかった⁇コレ、結構大事な事のように思えるのだけど…。

中盤、思考が凝り固まって、どんどんどんどん内向きになっていく彼の様子には凄く身に覚えが有りました。予期せぬきっかけで“死”のイメージに取り憑かれる事って、誰にとっても別に全然特別なことじゃないと思います。自分も昔からしょっちゅう頭の中で“しにたいしにたい”って言葉が渦巻いてしまうのだけど、次第にその事にも慣れきってしまって、今では正直「羊が1匹…」って唱えるのと大差無いと思えるようになってしまいましたよ。そして寧ろ本当にマズいのは、その言葉すら頭に浮かばず、頭の中が完全に真っ暗で、ハートには脱脂綿でも詰まってるような気分になってる時で、…この状態になると気分を持ち直すのがなかなか困難でして。
いつもより格段に“死”にリアリティを抱いてしまっているので毎晩眠るのが怖いし、自分の事が信用出来ないので意識的に電車に近寄らないようになってしまいます。身近に有る刃物も全て片付けます。
…それで、その状態が暫く続くと俄かに“命の使い方”という事を考え始めるのです。
《アイツに自爆テロを仕掛ければ、喜ぶ人が沢山いるよな…》
…なんて思ってしまう。…あっ!この感じ…。

という事で中盤以降、僕はトラー牧師の気持ちが部分的に分かっちゃった(気がした)し、なんであれば半ば応援してしまってたんですよね。しっかり殺りとげろよ、と。これはヤバイ映画だなーって思いながら。
で、まあ終盤で「あ、やっぱり気持ち全然分かんないかも…」ってとこにストーリーは落ち着き、最後ボンヤリと彼の魂ゆくえを見守ってしまいました。ああ、トラー、どんどん遠くに行くなぁ。
彼は死への希求の淵で踵を返し、ぼくはそのまま置き去られて、…いったい何が違うのかと言えば、結局は信仰心の有無なんですかね…?

この作品、やっぱりキリスト教に対する理解度はある程度要求されるとは思います。細かい信条、教義の違いなども分かればなお良いのだろうな。
自分自身は完全に無宗教だし、死後の世界は気のせいだと思うし、魂は…言わば本能を自主的に鉄条網で縛って身体に閉じ込めたものだとでも思ってます。放っておくと無分別に拡散してしまう不安定なモノ。
死(無)は生と対を成すモノでは無い。圧倒的に大きな無の中に、小さくササクレの様に立つ不自然・不安定極まりないものが生なのだと思う。命という状態は絶望的に小さく、儚い。その事に心がやられてしまわないように、生きる事に意味を見いだそうとするんだろうけど。

命が無に帰ろうとする瞬間に、自分の内なる神を信じ、自分の意識のフォーカスを絞り鉄条網の折の中に閉じ込めてしまうか、或いはフォーカスを無限に拡散させて、自分の意識の方を外の世界に重ねようとするのか。…そのどちらにも本質的な意味は無いのかもしれないけど、ひょっとすると最期にそんな事を判断するためだけに地獄のような毎日を生きているのかもしれないなぁ…なんて思わなくもない。命そのものに価値は無いけれど、信じれば意味を持って逝ける。…いったい、意味とかなんなんだ?ハテ⁇

そして、自分はこのままだと、あの防犯カメラの男の様に消えてしまうような気がしている。魔法の様にパッと…。人に迷惑が掛からない状況だったら、別にそれでいいんだけどね☺︎