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ありがとう、トニ・エルドマンのumisodachiのレビュー・感想・評価

3.2
何とも見事な作品だった。父親の冗談は爆笑というよりは失笑を誘うもので、ヴィンフリートとイネスの間には常に気まずい空気が流れているのだが、仕事人間で感情を忘れてしまったかのようなイネスが、終盤で畳みかけるように「この父にしてこの娘あり」としか言いようのないぶっ飛んだ行動を取り続けていく展開はかなり面白い。笑えるしね。

これ、ベースは完全に聖書の「放蕩息子の帰還」の例え話なんだけど、(ヨーロッパの人は本当に放蕩息子のたとえ話が好きだなー)その構造を当てはめているのが、父でもあり娘でもあるという構造が素晴らしい。

【放蕩息子の帰還】

外の世界で有り金を全部はたいて遊びまくり、全てを失った後で後悔して、ボロボロの恰好で父のもとに帰ってきた弟。父親はそんな息子を見て心から喜んで迎え入れ、一番良い服を着せて盛大に祝った。

その様子を見た兄は怒り狂った。兄は父親のもとでずっと献身的に働いてきたからだ。父は兄に言う。「お前はつねに私といた。私のものはお前のものだ。しかし、弟はいなくなったのに見つかったのだ。心から喜ぶのは当然ではないか」

つまりは悔い改めることの大切さと、神の愛の深さを示す例え話なのだが、親の子供に対する無償の愛を示すエピソードだともいえる。

『ありがとう、トニ・エルドマン』でも、遠い地で人としての感情を失いかけているイネスを父であるヴィンフリートが無償の愛で包むというストーリーが展開される。まあ、大枠は。しかし、実はヴィンフリート自身も放蕩息子の役割を担っている。これがミソ。

冒頭、家に来た宅配業者の男に対して、ヴィンフリートは笑えない冗談を言う。「無所帰りで乱暴者」という設定の架空の弟に扮するというジョークなのだが、ヴィンフリートがイネスの前で演じることになるトニ・エルドマンこそ、弟=放蕩息子であるヴィンフリートを示すキャラクターだと解釈できる。

父親面してイネスの前に現れるものの、実際は離婚していて父親としての責務を果たしてこなかったヴィンフリート。親としての愛は確かなのだろうが、トニ・エルドマンとしての行動は、完全に自己の押し付けだ。ハチャメチャであることに疑いの余地はない。

これは、父親が人間らしさを失ってしまった娘を赦す物語であると同時に、娘が好き勝手をして離れていた父親を赦す物語でもあるのだ。

さらに、かなり社会派の作品でもある。

ルーマニアの油田採掘事業のコンサルティングをしているイネスは、ルーマニアの市民のことを完全に下に見ている。彼女が過ごすバブリーな世界の裏で、たびたび貧しいルーマニアの街の様子が映し出される。ルーマニア人の助手はイネスを尊敬しているが、イネスはまったく相手にしていない。

ヴィンフリートは、そんなイネスの目を無理やり市民の方に向けさせる。彼らにも生活があり、感情があり、尊敬すべき人間性があるのだと。

ヴィンフリート(というか、トニ・エルドマン)によって本来の自分が覚醒したイネスは、ちょっと想像もつかないような大胆な行動に出るのだが、その行動によって人間は上辺では分からないことを知り、新しい一歩を踏み出すエネルギーを取り戻すことになる。

終盤に登場する抱擁のシーンは本当に感動的で、涙が出てきた。ただ、この作品は単純な感動ヒューマンストーリーではない。最終的に何かが劇的に変化するわけではないのだ。イネスが弱者救済に使命感を燃やすようになるわけでも、父親が不治の病に冒されて余命を娘と過ごすようになるわけでもない。イネスとヴィンフリートの間に流れる気まずい空気も、完全に消え去って子供時代のように戻れるというわけではない。

お互いが少しだけ赦しあって、お互いへの無性の愛が純粋に表出し合った瞬間が立ち現れる、その瞬間を切り取るための映画。そのための162分間。ものすごく丁寧で、ものすごく長い。でも、その分きちんと感動が伝わったときのパワーは凄まじい。

個人的には、ヴィンフリートが自分の父親とかなり重なるということもあって、感情移入しまくって観た。娘であればある程度はイネスの気持ちが分かると思うが、私の父親は見た目もけっこう似ているわけだ。ヴィンフリートに。誰にでも真顔で冗談を言ってドン引きされるところも似ているし、そのジョークが分かりにくいところも似ている。

そして、仕事場に家族を同席させることについては、私も私の家族もそんなに抵抗がないので(職業柄)、その部分も妙にリアルで。観ながらいろいろなことを思い出してなんだか疲れたが、深く感動した。


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