もるがな

IT/イット “それ”が見えたら、終わり。のもるがなのレビュー・感想・評価

4.7
たとえば「それ」は黴臭い臭いのする地下室であったり、一人きりの洗面台の排水口であったり、誰も来ない書庫の薄暗がりであったりと、「それ」はどこにでも存在する。ひっそりと佇み、時に手招きをし、迷い込んだ人間の恐怖を貪り喰らう。誰しもが幼少期に味わったであろう原初的な恐怖体験が、冒頭から休む暇なく矢継ぎ早に襲って来るアトラクション型のホラームービー。ちなみにITとは英語圏で鬼ごっこの際の「鬼」を指す言葉として有名ではあるのだが、原作を読めば分かる通り、ITは恐怖の象徴としての赤い風船のことも指し示している。なので日本語の「それ」が誤訳というのは早計であろう。そもそも鬼という言葉にも様々な意味があるのと同じで、ようは未知の恐怖に対する言葉でもある。つまりITとは無形の恐怖そのものなのだ。

殺人ピエロの怪人ことペニーワイズの驚かせ方は様々でバリエーションに富んでおり、ほんの少し恐怖が心の中に去来しただけであっという間に「魅入られて」しまう。この辺の怪異の描き方は実に素晴らしく、「それ」は恐怖そのものであるため逃げ場がないのだ。ホラーを構成する大事なお約束ごとの一つに「閉塞感」と「孤立無援」が挙げられるが、町という本来なら開放的な空間であるはずの場所で、この二つを成り立たせている手腕は見事である。日中夜間問わず、ペニーワイズは容赦なく襲って来るため、怪異の道理の合わなさや理不尽さというものがよく出ていると思う。

町といってもその空気はどことなくどんよりしており、キングはこういったIQの低そうな人間の集う田舎町デリーの描き方が実に上手い。ツタウルシの葉で尻を吹いたら肛門がかぶれたという話をキングは自伝で語っていたわけだが、この田舎町デリーはそんなキングの幼少期の原風景の一つでもあるのだろう。さびれた地方の田舎町というだけでノスタルジーを感じる人も多いのではないだろうか。

主人公たちの負け犬グループ(ルーザーズクラブ)はスクールカーストの最底辺であり、皆が皆、それぞれ家庭に問題を抱えているわけだが、こうした設定の重さに作者であるキングの底辺への愛情を感じてしまう。物語の主人公になれるのは円満な家庭の持ち主ばかりではなく、そんな帰る場所のない彼らが逆境の中で、互いの絆を信じて恐怖に打ち勝つ物語だからこそ胸を打たれるのだ。弱い人間が勇気を振り絞る物語はいつだって面白い。

原作では現在と少年時代をクロスオーバーさせた語り口だが、少年時代編として割り切って作ったのは賛否両論あるだろう。多重構造の厚みのある語り口は失われたものの、分かりやすさではこちらのほうに軍配が上がっており、初見でも十分楽しめる出来である。

個人的に一番気に入った点はギリギリA級になれないB級感であり、ある種のインテリやお上品な人が眉を顰めるような描写をしっかりと入れてくれたことに安心感を覚えてしまった。またこの作品は単なるホラーではなく、少年たちのひと夏の青春冒険モノでもある。ピエロの執拗な驚かしに耐えていたら、いつのまにか心のメーターが恐怖から感動へと一気に振り切っている最高のエンタメ作品だと思う。
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