ひば

ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦のひばのネタバレレビュー・内容・結末

4.3

このレビューはネタバレを含みます

ほんとうは劇場上映しているときから気になっていたけど勇気がでなくてレンタル待ち。きつくて何度も何度ももうやめようかな…と思いつつ休憩入れて見ました。
なによりキツいのが、あの場でハイドリヒを射殺できていても結局は同じ報復を同じような時期に受けていたのでは、と予想ができるところです。そして同じように、使い捨てに等しい彼等が自殺を図っていたであろうことも。
同じような状況にあった映画を見たとき、せめて、せめて人質になって生きる選択肢を、と考えたことがあります。しかし降伏というものは生半可なものではない。生活を根こそぎ排除され、生活どころか人権尊厳さえも奪われるということを私は歴史から学びました。そしてこの映画から学んだことは、彼等にとっての自死とは"最大限の嫌がらせ"でもあるということです。相手からしたら、一瞬で殺された隣にあった仲間の為の報復であるのに、わずか目の前でその思いは報われず恨みの行き処がなくなってしまうからです。ストーリーの幕引きを知っていながら、束の間に誰かを愛し人間として生きる。いいえ、彼等は最初から最後まで人間でした。愛のために憎悪を振りかざし、冷徹に生き歯車と言い聞かせ死んでいった彼等も、落とした青酸カリを探して死に急ぐ彼も。自死に誇りなんかそこにはない。あるのは義務。
匿ってくれた家族も、置き去りになったフィアンセも、どうなったかわかりません。そしてこの史実がその直後の何かを動かしたとは思いません。例えハイドリヒが死んだというビッグイベントだったとしても。酷い言い方にはなりますが、"無駄"だったと思います(『レミゼラブル』を彷彿させますね)。誰かを殺せば誰かを殺される。何年も何十年も何百年も終わっては始まる連鎖の中点に過ぎない。ならこの争いを終わらせた行いこそが"無駄"ではないのか?そうでしょうが、そんなことは誰にもわからないのです。ふとしたきっかけで呆気なく物事が収束することもある。そんな奇跡を、人や神に願っている。なによりこの映画で悲しいのは、彼等がそれを"次の代"に願っていたこと。自分達がやっていることは無駄なことだと誰もがどこかで思っていた。透明人間となって生きる人生とはどんなものか。なんなんでしょうね、この気持ちはどうしたらいいんでしょうね。そんな気持ちで生きてほしくなんかありません。こんなことがもうありませんように、同じことを繰り返しませんようにと陳腐な言葉しか出てこない。陳腐な言葉ってなんだ、こんな大事なことなのになんで。何故世界は今もわからない。


キリアンマーフィーの作品は結構見ていますが、この映画の彼が一番ずば抜けて美しい撮り方をされていると思いました。こんな美しい人だったのかと。この顔になりたい…と思ったほどに。調べたら『フローズンタイム』の監督でしたか~なるほど…

なんの縁か、最近ナチス関連の作品をよく見ました。こんなん人間のすることじゃないと思っていましたが、思うべきは、"これは人間だからできるのだ。私たちは人間相手にここまで冷酷になれる。私たちはその暴力性を常に秘めている"ということを忘れてはいけないのでしょう。
いつの時代も"愛している"と伝えることはできます。ただなにより欲しいのは"愛している"という言葉より、"ずっと側にいる"であり、それが満たされる時代を私は望んでいます
ひば

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