ひば

グッバイ・クリストファー・ロビンのひばのレビュー・感想・評価

4.5
冒頭3分、人物が映っているにも関わらず誰も言葉を発することなく、ただ虚無のドーナルくんの顔。発した言葉は妻の名前だけ。これだけでこの映画、こういうムードでいくので、という掴みはばっちりだった。
1916年、西武戦線によって心に大きな傷を負い穴が空いてしまった主人公ミルン。シャンパンを開ける音、風船が割れる音、照明の明かり、ハチの音…すべてがあの戦場に引き戻す。妻は言う、「考えなければなかったことになる」と。なんとも悲しい意見だが人生の厳しさを思えばそれが己を守る一番のことだろう。
ミルンは反戦の意志を示すために戦争の本を書こうとするが、幸せが枯渇したこの時代に一体誰が戦争の本など読むだろうか。妻は語る。
「反戦とは何か分かってる?反水曜日と同じ。水曜日は現実。逃げられないし今日が別の曜日でもいずれ来る」
そうだ、そういった時代だったのだ。



~~~~ちょっとネタバレ~~~~

自分ではない自分の名前、クリストファーロビンを与えられた息子ビリー。母親も父親もその名前に引き寄せられ始める。そのことに気付いた時、そこからは下降人生だ。子供ながらに忖度を覚え、居心地の悪さを募らせる一方。おまけにミルンはPTSDと向き合ってはいても、執筆や宣伝に人生を見出だしているようにも見えない。世界に幸せを与えられても己と息子を幸せにすることはできなかった。
「本を書いてと言ったが、主人公にしてとは頼んでない」
なんたることだろう、愛する父親の産物が自分であることはきっと名誉なことなのに、こういった思慮を持たざるをえなかった悲しみが滲み出た痛ましい響き。虚構の存在として成功という事実が現実を深く蝕んでいく。
そして1941年。皮肉なことに戦争から遠ざけたはずの息子は、「女の子がよかった。戦争に送らなければいけない、行ってしまう人を待つのは嫌だ」と言う妻の思い虚しく、大きくなりすぎた偽りの自分からの逃避の為自ら戦争へ。そこで知る児童書の大きさ。
少し話はそれますが中学生のとき。私はポケモンのアニメを見ていたのだけれど、もう中学生なんだからやめなさいと止められた。そうか、中学生にポケモンは恥という考えなのかと受け入れたが今考えれば酷いものだ、ポケモンGOのアプリのターゲット層は中学生以上の大人だというのに!大人たち、ポケモンを知らなければ馬鹿にするくせに、大人になって楽しんでいても馬鹿にするのだから理不尽だ。
だからビリーにとっても同級生にとっても児童書プーは幼稚で子供騙しのツールとなっていたのだろう。しかし地球に住むすべての子供たちの必須科目で既に履修済みとなったその空想の産物は、実は誰の心にも暖かな思い出として存在していることに気付く。暖炉の前で、母親の膝の上で、ささやかな幸せをもたらした夢物語こそ人生に輝きを与え人を人たるものにするのだ。
星の王子さまの作者が戦死したとき、彼を撃墜したパイロットの話を思い出した。「彼が作者だと知っていれば撃墜などしなかった」と語った、と。

今作、とても楽しみにしていたのにまさかの劇場未公開決定によりかなり落ち込んでいてようやく見れて嬉しかった。公開されても重い話だったから伸びないだろうな…と思いつつ…なんとなく『ウォルトディズニーの約束』なんかを思い出したり…あの作品大好きなんですがあれも劇場公開されたのが不思議なくらい。トムハンクスが出てたからかな…
『マリリン 7日間の恋』、『黄金のアデーレ』の監督かぁ~~納得。この方の映画は起承転結が緩やかで物語的ビッグウェーブはないものの、特に古い年代が舞台になったときの画面から滲み出る暖かさと切なさ、ノスタルジックな描写がすごい好きです
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