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夜は短し歩けよ乙女のohassyのレビュー・感想・評価

夜は短し歩けよ乙女(2017年製作の映画)
3.0
「飲み歩くなら若いうちに。心からそう思う」


森見登美彦を読んだことがない。
それは世代ということもあるけれど、21世紀に入った頃から小説というものをあまり手にしなくなってしまったからだろう。
80年台後半から90年代は活字中毒と言っていいほどの状態だったのだから、人は変わるものだ。

ただ読んではいないけれど、彼の小説が好きだという人たちの種類や彼らが語るその口ぶりから、どのような雰囲気の小説なのかはおおよその想像がつく。
そういった「ハマる人」を作り出す文体を持った種類の、優れたものなのだろう。
タイミングが合っていたら僕もはまっていただろうし、もしかしたら今後はまるかもしれない。

そして本作を観て、その先入観はあながち間違いではないことが個人的に証明された。
やはり、語り口とキャラクター、スピード感、現実と非現実の曖昧さ、その辺りが独特で心地よい類なのだなと。
僕らの世代ではやはり村上春樹なのだけれど、よりキャラクター性が際立ちアクションを描ける森見作品はアニメ化に向いているのだろう。

作画ツールとしてFLASHを取り入れたことで、湯浅監督は自分の表現を遠慮する場面が減ったのは間違いないだろう。
特に監督の大好きな「ワイドレンズ+極端なトラックアップ/ダウン」はかなりやりやすくなっているはず。
同じFLASHを使った作品でも僕らがやっているのとは全然違うわけだが、それはまあそもそもの使い方というか、目的が違うのだから比べるものでもない。
2DとFLASHのどちらも多少はわかっている人間からすると、うまい使い分けだと思うし湯浅監督の作品性にはとてもマッチしている気がする。
つまりトゥイーンの活用とベクターデータの強みを最大限に生かせるのが、湯浅監督の世界観というわけだ。

京都という存在は、いけ好かない。
いけ好かなくて、うらやましい。
鼻につく。
憧れる。

この、街も人も現実と非現実が混ざり合いひとつになり、延々と引き延ばされる夜を当たり前のことと思わせる感覚は、京都にしかなし得ない。
大学生たちの、本気とも冗談とも取れない酔狂な発言や行動は、もちろん日本中の優秀な人間が集まっているということも理由だろうが、京都という場所が醸し出す毒素に侵されているに違いない。
実際に出会う京大出身者は、主人公の「先輩」的な人か樋口師匠的な人に、見事なまでに二種類に分けられる。
樋口先輩的なキャラクターはひどく憧れるが、若い頃にもし京都で飲み歩いていたらどちらになっていただろう。
今とはまた違った人生になっていたかな(今よりひどくなっていたであろうことは想像に難くないけれど)

しかし、闇夜を歩いて次から次へとハシゴ酒をすることが、すっかり難しくなった。
年齢的に。
それが何より残念である。