Daisuke

夜明け告げるルーのうたのDaisukeのレビュー・感想・評価

夜明け告げるルーのうた(2017年製作の映画)
4.2
[アニメーションへ、愛を]

※オープニングまでを少し細かく書いております。自分の個人的視点なのでネタバレではないですが、詳細を知りたくない方はご注意を。

正直言うと、天才湯浅監督の作品だと言うのに絵柄から後回しにしていた作品だった。そして鑑賞し終えた私は、また涙で目を赤くしたまま部屋でボーッとしていたのでした。
なぜならこの作品は、湯浅さんの「アニメーションへの愛」を内包した作品に見えたからだ。

冒頭、Youtubeのようなサイトで自ら鳴らした音を重ねて音楽にして発表している様子は「たった一人でも何かをクリエイトできる」という事と、「それを内に秘めている」という心情を同時に伝えるシーンだ。
(余談だが、マインドゲームで組んでいた山本精一さんのような音楽が始まるかと思ってドキドキした)
その後、主人公である少年と家族模様、登場人物の紹介、舞台設定をものの数分でほとんど済ませてしまうのも潔い。

「音楽なんて、ただの暇つぶしだよ」

この主人公の台詞。心を閉ざしてしまったような台詞。どこかで聞いた台詞だった。
私はこの時、湯浅監督がテレビアニメーションとして作った『ピンポン』(原作は松本大洋)の中に出てくるスマイルというキャラクター、彼の「卓球なんて、死ぬまでの暇つぶしだよ」を思い出していた。

この主人公が一人で歩いている時はカメラは引いていて、どこか寂しい印象になっている。湯浅監督らしいダイナミックなアニメーションはなく「あれ、今回は作風は違うのだろうか」などと変な心配をしてしまうほどだった。

同級生とバンドをする事になり崖の向こう側へと行くが、寂れた遊園地など、暗い空気感が漂ったままだった。
ところが、曲を流し始め、しばらくすると、どこからから声が。空気が一変する。主人公の頭に「歯車が回り始めるカット」が入り、暗かった主人公の身体がひとりでに、、、

ここから、私の大好きな湯浅監督のあのダイナミックな「アニメーション」が炸裂していく。

この部分からオープニングクレジットへと繋がる意図は「驚きのものを見つけてしまった」という部分に、本当に好きなものは身体が勝手に動いてしまうという「自分にとって最良のものを見つけてしまった」という高揚感を内包していると思っている。つまりこれは「アニメーションという最上のものを見つけた湯浅監督」であり「アニメーションって最高だぜ」と言った高揚感として私には見え、すでに半泣きだった。

『崖の上のポニョ』を比較として出される方は多く、確かに似たようなシーンはあるが個人的には完全に別物だと思っている。
宮崎監督は「ポニョ」の世界を「超えてはいけない向こう側」として描いていたが、「ルー」の世界はそういった宮崎監督の持つ死生観が入ってる作品ではない。

むしろ「人魚というファンタジーと一緒に仲良くなれる」という描き方だ。とはいえ「共存」がテーマだっただろうか?そういった描きもあったけれど、そこまで共存を強く描いてるとは思えない。ではこれは何を表現したのか。ルーは言う。

「好き」

何度も出てくるこの台詞。
そしてラストシーン(詳しくは言わないが)あそこまで「愛」を相手へと伝えるにはなんらかの確固たる意志がなければそんな脚本は書けないと思っている。今作は脚本に湯浅監督の名前が入っている。そう、私は冒頭のオープニングから、人間側=湯浅監督、そしてルー(人魚側)=アニメーションそのもの、として捉え、これは

湯浅監督が「アニメーションそのものへ」と「愛」を伝えている

そんな風に見えていたのだった。
だからこそ物語そのものへの涙よりも、さらに深く感動していたのだと思う。

そりゃそうだ。そして羨ましい。
私だってどうしようもなく好きなものがある。

初めて『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を見た時、ルーを見つけた主人公のように私の「頭の歯車」が動き出し、私だって踊ってた。死ぬほどしんどいけど自分は「それ」をずっと目指してる。

どうしようもない

どうしようもなく、

「映画」が「好き」なんだもの。
Daisuke

Daisuke