[破壊]
監督は一体何がしたいのだろうか?
殺人ゲームへの招待状
集められた奇人変人
大金持ちの孤島
予期せぬ探偵
ミステリでよくあるワクワク要素を抽出した前半は、これから何が起きるかと私の心はウッキウキ。
そして中盤
「ある者」の視点から語られる新事実に、またさらにウッキウキ。
そして後半
私は「??」と頭を抱えていた。
物語内で語られる「破壊」というキーワード。それがこの監督の本質なのだろうか?
彼は『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』で、ファンから「スター・ウォーズを破壊した」と言われた。
象徴的なのは、ルークは「ジェダイは滅びるべきだ」とし、伝統的な書物を燃やす。これは今までのスター・ウォーズに対しての破壊を宣言する行為に見える。
この『グラス・オニオン』という作品は、前作よりさらにミステリに対して「馬鹿げたもの」として構成されている。
途中、探偵が発狂するが、その「ミステリ風味の馬鹿げた惨劇」は、もう少し捻られたものに出来なかったのだろうか。
「本格ミステリの型から実はバカ映画」という見せ方は嫌いではない。ただそれはバカ映画の中に実は巧妙に隠されたロジックと共に「本当に言いたいこと」が成立していないと気持ちよく乗っかれない。本当に語りたい部分が「グラス・オニオン」の通り、中身がない場合、本当にただ馬鹿馬鹿しいだけになってしまうからだ。(劇中でさらにそれを物語自ら言ってるところも少々モヤリとする)
ちなみにマーベル映画の「ハルク」の現場を破壊し降板したエドワード・ノートンを使うのも何か色々と考えてしまう(考えすぎかもだけど)
さらに恐ろしいのはラストのオチである。
一応詳細を伏せるが、ある美術作品に対してあのやり方は「最後のジェダイ」のルークのやり方と同じである。
そしてより悲しいのはあの破壊行為は「復讐」のために行ってるのでもう最悪である。
破壊、破壊、破壊
過去の芸術に対し、敬意もなにもなく
ただただ何もかも破壊だけしたい
監督の何がそこまでそうさせるのだろうか?
確かに、新たな作品を作るためには「破壊」は必要だと思う。しかし、それは破壊する事で真に新たな創造物が誕生しなければ、それは子供が積み木の山を崩すだけの行為ではないだろうか。
破壊し終えても何も残らない
ただただ虚無だけが訪れる
ラストシーンは、ある者のなんとも言えない表情で終わるが、あれこそが今の監督の心境なのかもしれない。