Daisuke

アルプススタンドのはしの方のDaisukeのレビュー・感想・評価

3.0
[はしのはし]

世間一般の青春(例えば甲子園を目指す野球児たち)から半歩ほどズレた場所にいる4人。自らの逃げを自己肯定しようとする者や、“しょうがない”に囚われた者たちなどの会話劇。

この映画を見る前は「私も“はしの方”だったー」と登場人物たちに共感しつつ感動するのかと思っていた。しかし、楽しく鑑賞したものの、驚くほどに心が動かなかった。

その原因として、まず元々が演劇のためのシナリオのせいか、登場人物たちのセリフが丁寧に丁寧に「後々に関わる事だらけ」で構成されているため、という事が大きい。

演劇系のシナリオは、ロジカルで無駄がなく、後々にかかるように前半から練りに練られたセリフ回しでシナリオを帰結していくように丁寧にできている。
なぜなら舞台という超限定的な場所では、映像の構図やカットなどといった事は出来ず、基本的にはセリフで進行するしかないためだ。

これが自分が映画で好きな「余白」が全く感じられなかった事に繋がる。登場人物達が、生きている人間には見えず、AさんはBさんとの会話によって、Cさんに影響を与え、それを聞いたDさんに影響する。のような、作られたもの「記号的」なものにしか見えなかった。

映画の中で「人間がそこに存在する」という空気を出すには、様々な方法論があるかと思うけれど、暴論に近くて申し訳ないけれど、まずはロジカルではない「特にシナリオに直接関わらない言葉」を普通に入れ込むしかないと思っている。それが我々の日常におけるリアルなのだから。

と、偉そうにまた「演劇のシナリオが映画という装置に合わない」的な事を書いているけれど、ちょっと合わなかったと思った本当の理由は、登場人物の皆が、それこそ“はし”だったとしても「スタンドにいて熱い声援を送るような人間たち」だったからだ。

あの時の私は、そこにはいなかった

はしのはし

「アルプススタンドのはしにすらいない方」

そんな人間だったから
Daisuke

Daisuke