[そうかもね]
悲しい作品だった。
わざわざそれを言わなくても。
後半までは駆け足ながらも、ドラクエの世界らしい雰囲気を見事に作りあげ、ビアンカとフローラの選択というゲーム史に残る場面も中々に気が利いたやり方を行なっていて、納得しながら楽しめた。
やはり問題はその全てが覆される驚愕の構成だ。
ドラゴンクエストVという物語は、少年から青年、そして結婚の選択という、いわば人生を経験させるような作りになっていて、子供の頃に経験した者ならば結婚という選択がストーリーテリングに入ってる事で「いつか自分も大人になる」という事を強く意識させる作品だった。
大人とは(ここでは「成長」も含まれる)何か?
ファンタジーの物語に普遍的な現実性を同居させる事で、永遠に忘れられない物語となったのだ。
この映画化はどうだったか。
まずドラクエVの本質である「大人への成長物語」を、かなり歪んだ思想で再構成した作品だと感じた。
この制作者は結論として「ゲームを離れて大人になれ」と言ってるわけではなく、「大人になってもゲームの世界って自分の大事な物語だよね」と言う結論のために、「ゲームを離れて大人になれ」を構成上、前フリとして使っているのだ。
自分はこの構成が完全に悪いとは思わない。俯瞰して見れば確かにフィクションというものは、どうやってもフィクションでしかないのだから。
ただ、それを真顔で言われると本当に悲しくなる
この映画のラストは「一人だけの自己完結」で全てが終わってる、あまりに哀しい光景が映し出されているように感じたのだ。
なんだか監督にこう言われてるように思える
「誰も介在しない世界で、1人でずっと楽しんでてね」
「これは“あなた”の物語」
そうね
そうかもね
1人で自分の歩んだ物語を反芻してるだけの哀しい物語
それがこの映画
そしてそれが自分
そうかもね