和桜

羅生門の和桜のネタバレレビュー・内容・結末

羅生門(1950年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

原案である芥川龍之介の『藪の中』を読む機会があったので映画の方も再鑑賞。改めて、芥川作品をヒューマニズム精神で再解釈した素晴らしい作品。
第二次世界大戦の締結から五年、東京裁判から二年の時を経て作られた時代背景。これが国際的に認められたことで、肩身の狭かった留学生の自信になったという遠藤周作の話も良い。

まず両作の違いとしては、芥川龍之介が証言の食い違いを通して真実を藪の中へと眩ませたのに対して、黒澤監督は第一発見者の杣売りを真相を隠れ見ていた目撃者に書き直す。最後に真実を暴露することで、保身のために嘘を重ねる人間の浅ましさをより露にし、そんな虚栄心が真実をひた隠していたことを教えてくれるのがこの作品。

そして、語り手である杣売りの葛藤や人間不信は、聞き手である旅法師と観客にも植え付けられる。
これは戦時中、情報が二転三転しながら鼓舞され続けた敗戦間もない日本人の姿にも重なるような、東京裁判を経た当時の人々はどう見ていたのか。都市部のインテリ層は熱狂的に受け入れたらしいけど、全体としてはそこまで評価されなかったらしい。

ただ、黒澤明の『羅生門』は「人を信じるな」という物語ではない。むしろ逆説的に、それでも人を信じ続けることを描いてる。それが取って付けたとも言われる、個人的には大好きな杣売りが赤子を引き取るラストシーン。
今は語れずとも、いつかは嘘を吐く人間へと成長する赤ん坊の鳴き声は恐ろしい。しかし、杣売りは自己矛盾に苛まれながらも、赤子の着物を剥ぐのではなく育てることを選択する。自身を含めた人間への複雑な感情の中で罪を改め、無垢たる赤ん坊を信じ進んでいく。一度は彼を疑った聞き手たちに、人間性の回復を示した後に幕を閉じる。

これは論争にもなっている『藪の中』の真相を導き出した上で、もう一つの原案である『羅生門』の主題にまで応えてしまってるわけで、逆輸入で評価されたのが悲しいくらいの離れ業。
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