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羅生門の10000lyfhのネタバレレビュー・内容・結末

羅生門(1950年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

一つの事件が、立場により異なる脚色がなされた証言により、事実が不明瞭となる事象。現実には古今東西問わず発生し続けている事象だが、それを、一本の時間軸という制約のある映画のストーリーテリングにおいて、初めて形にした作品。ただ、現在目線では、その映画史的評価どまりの作品と思う。事件自体も、関係 3者の証言の脚色やその動機も凡庸(加害者 => 決闘を脚色し武勇伝化;被害者の妻 => 単純化で自己の潔白性を強める;被害者 => 自分の被害者印象を強め、憎悪から妻の罪を重くする)。客観的目撃者で、映画内で語り手の役を担う「杣(そま)売り」が、短刀を盗んだ犯人とされるあたり、微かに第四の壁を壊している。演技、映像、音楽がクォリティ高く本作を支える。事件関係者 3人と羅生門で雨宿りの 3人ら、主演陣は安定の演技。豪雨に打たれる半壊の羅生門の廃墟的映像が美しい。第2証言まで執拗に鳴り響くボレロもどきや、ハープやグロッケンシュピール?の多用など、近代的オーケストレーションの劇伴も手堅い
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