ゆーさく

火花のゆーさくのネタバレレビュー・内容・結末

火花(2017年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

お笑いを舞台にしてるけど、笑える映画にはなってない。
エンタメではなく考える映画。
舞台に上がる者の感情は深刻で複雑❗



破天荒な神谷に憧れて弟子入りしたはずの徳永。
その破天荒を誰よりも身近で楽しんでいたはずの徳永が、いかにしてその破天荒を疎ましく思うようになっていくのか、「この人は間違ってる」と判断するに至るのか。
その過程がこの映画の主題だと思った。

でも正直、徳永が神谷に抱く感情の移ろいは複雑で、俺にはその過程がよく理解できなかったな。



大衆にウケて売れる事を第一に考えるか、自分がオモロイと思う事だけを貫くか。

正解・不正解は自分の中で探すしかない、そんな問いかけ。
その狭間で苦しむ徳永。

自分を貫けと神谷は言うけれど、それは本当に正しいのか❔と悩む。


芸術とか笑いとか演技とか人の感情に訴える物って皆そうだけど、
ある程度テクニックが上がってくると、あとはもうフィーリングでしか良し悪しの判断がつかなくなってくる。

数学みたいにキッチリ答えが出るようなものじゃない。

そんなあやふやなモノの頂上を目指すって行為は、何て骨の折れる作業なんだろう。

登ってるのか降りてるのかの判断もつかない山道を、やみくもに歩いてるような不安な気分だろうな。

スクリーンから芸人たちのそんな陰鬱な気分が漏れてくるようだった。


ラスト近く、神谷が豊胸手術で自分の胸をFカップにするという尋常じゃないボケをかました時、
既にお笑いを引退した徳永はそれを「笑えない」と断罪する。

「そういう性別面で問題を抱えてる人も沢山いるのに、それが面白いわけない」
と常識の範囲内に立った説教をする。


でも、恐らくそれを「最高に面白い」と思う人は、いると思う。


笑いに正解・不正解は無い。ただ好きと嫌いだけがあって、だからこそこんなに苦しむし、身の振り方にも迷うのだろう。



「お笑い芸人に引退はない。淘汰された芸人は生き残ったものの糧となって役立つ。だから負けた人間も決して無駄な存在じゃない」

とラストシーンで語る神谷に対して、徳永は一体どんな感情を抱いているのだろう。

心底、感動して聞き入ってるようにも見えるし、淘汰された側の負け犬の遠吠えだと軽蔑してるようにも見える。

菅田将暉の表情、どちらにも取れる絶妙の表情だな。



キャラクターが活きていて、それによって物語が生まれていく理想的な筋書きだと思ったし、説明的で無い分、考える余地も沢山あって、退屈はしなかったけど、


演出コミコミで考えると全体的には平凡な映画だった。
ゆーさく

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