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ナンシーの海のレビュー・感想・評価

ナンシー(2018年製作の映画)
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人の嘘すべてを悪いことだとは思わないけど、他人の生きた物語を自分の物語ですと語ることはやってはいけないことだと思うし、もう居ない人の口を借りて言葉の続きを語ることも、やってはいけないことだと思う。けれどわたしは彼女を嫌いにはなれなかった。とにかくずっと、彼女の人生は彼女にとってどんなに味気なく鬱陶しいものだったんだろうかと考えた。母親が病気になる前はどんな生活を送っていたのか。猫以外に親しい友人は居たのか。ほんとの話をSNSに書き込んだり誰かとお喋りする機会はあったのか。彼女自身の現実はもしかすると何年も止まったままだったんじゃないのか。そんなことを、彼女のあの目を見ながらずっと考えていた。映画にもしてもらえないような物語から、目を背けられるほどわたしはもう子供ではなくて、だからといって哀れむほど大人でもないから、彼女の生活に光を差せそうな抜け穴を探すのに必死だった。わたしは人間が嫌いだ。人間が嫌いだけど、好きなひとはいて、生きていくためにそこに居てほしいと望むひともいる。そして、ただしさの、すれすれのところを這いつくばるようにして生きているひとたちの物語がたまらなく好きで、あなたの語るあなたの物語が好きで、どうかそれがずっとわたしのみえるところで息をしていてくれますようにと願っている。名前も顔も知らないあなたとともに、わたしも生きているんだと思うこと、わたしじゃない誰かの物語がわたしの心の状態や生活の変化でいくらでもかたちを変え続けてしまうことは、ナンシーが嘘をつくその行為と、きちんと別物だとしてもよく似てはいないかとも思った。ひとの表現を歪めて手に取ること、それをしたくなくてもそれをするしか見つめる方法がない。ただいつも、あなたの顔を見て話をしているだろうかと問う。どんな言葉が本当にあなたに近いのだろうかと問う。2年前だ、投稿した文章を知らない人に自分の物語として無断で転載されていることに気づいたとき、わたしはそのことについて何度か親しい人と話したし一人で泣いた、そして相手と何度か連絡を取り合った。話をすればするほど相手のことを「嫌い」と思えなくなっている自分が居た。彼女には自分の物語が無かった、だけど本当は無かったわけじゃない、物語はそこに居るのに、誰にも彼女自身にすら気づいてもらえていないだけだった。わたしはそれを知っていたのではなくて、そうであってほしいと心から思った。だから自分の物語を書いてほしいと頼んだ、その物語が創作であってもよかったし、光を書こうとして闇になってしまってもよかった。それをうつくしいと思う人がかならず居ると思った。書けるかどうかも才能があるかどうかもどうだっていいからあきらめないでほしかった、話そうとすることをやめないでほしかった。いつか読みたいとわたしは言った、本当のあなたの物語を。ナンシーは家を出るとき猫を連れて出た、わたしにはそれだけで彼女は優しいかもしれないひとになった。ナンシーはわたしの知っている人によく似ていたし、そしてその人と話したときのわたしにも、もしかすると似ていたのかもしれない。彼女の人生の続きについてわたしは考えない。絶対に考えない、どうなっていたってそれでいいんだ。自負も喪失も、さみしさも怒りも、欲求も嫌悪も、いま全てを放棄して、あなただけを見つめることができたらどんなにいいだろうか?時間だけがただ降り積もった荒野、同じことを何度も言葉を変えながら書く。泣きそうになったり、ほんとうに泣いたりしながら、夜の車の中に居たひとのことを、わたしも無条件に、愛していたいのきっと。
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