パケ猫パケたん

グッバイ・ゴダール!のパケ猫パケたんのレビュー・感想・評価

グッバイ・ゴダール!(2017年製作の映画)
4.1
後に、ジャン・リュック・ゴダールの夫人となった、女優アンヌ・ヴィアゼムスキーの自伝の映画化

『アーティスト』(2011)のミシェル・アザナヴィシウス脚本・監督作品


ゴダールを描くってことは、世界中のシネフィルの視線を浴びることになるので、
その勇気と独創的に敬意を表したい

同時に、映画単体として鑑賞しても、魅力的であった


まず、『中国女』(1967)の撮影風景から、映画は始まるが、革命の色の赤色が眩しくて、懐かしい

映画の発色は明るく豊かであり、カラフルな色彩に、アルファベットの文字列が、挿入される感覚は、正にゴダールの映画の様で鮮烈で、痺れる

軽みのあるコメディ・タッチもあり、これもゴダール風味

ゴダールの眼鏡が、いちいちデモの大衆たちに踏み潰されるのは、笑えるのだが、革命の実務に疎いゴダールを風刺しているのだろう 

年齢的に、リアルに五月革命(1968)とかは、知らないオレなのだが、学生時代の旧校舎に、革命運動家の残党がアジトしていたので、暴力革命の血の匂いとヤバさは知っていたよ 

これと比べれば、ゴダールはまだまだハイソで、頭でっかちな革命の感じがした

ただし、五月革命をビジュアル的に先取りをした『中国女』と、ゴダールの天才性は疑う余地もない


この映画を評価したいのは、恋愛映画として、成立していること ヴィアゼムスキーがゴダールを愛していたという、実感をもって描かれている点である

冒頭の女目線、男目線で切り替わるシークエンスは、クロード・ルルーシュの『男と女』(1966)を彷彿とさせる
やはり、男女の関係はこんな感じだよね~と思いつつも、ゴダール意外の映像風味が、後の破局の伏線に成っているのが、アザナヴィシウス演出の鋭いところ

ゴダールをルイ・ガレル、ヴィアゼムスキーをステイシー・マーティンが演じていて、風貌が似ている以前に、俳優としての魅力があって、キャメラ映りが栄えている

また、親友の役で、ベレニス・ベジョが出ており、瞳の大きな彼女の存在は、映画に華を添えている


映画が進行するに連れて、この街角は『勝手にしやがれ』(1960)あの海岸は『気違いピエロ』(1965)、その断崖は『軽蔑』(1963)などと、特別にゴダール・ファンでもない、オイラを楽しませてくれた、なので、ゴダール・ファン、フェチの方々なら、にんまりするシーンが多々であろう

「大衆は映画に楽しい娯楽を求めている、なぜなら現実は辛いから」というベタなセリフを入れるところも、逆に、このアザナヴィシウス監督の誠実さを感じ取れる



●映画と革命について

ゴダールが「映画の革命家」であることは事実であろうが、後年の彼は「革命についての映画」を撮る、やや後退した監督に成り下がったのかも知れない

何故なら、この映画に於いて語られていたように、「『中国女』の登場人物たちに、寄り添っているのか、反発しているのか、監督の意図がわからない」とのセリフからも自明である


革命的な映画を作った後の、監督のその後の創作について


ゴダール「ヌーヴェル・ヴァーグのその後については、トリュフォーに任せる 彼は相変わらず、恋愛映画を撮っている」

セリフの中では出てくるのだが、トリュフォーの姿は出てこない


ここで、なんと、ベルナルド・ベルトルッチ(グイド・カプリーノ)の登場👀‼️

グイド・カプリーノ自体が大物俳優が演ずるわけでも無くて、男前だが、素人みたいな存在感の役者な印象
低音な美声でもある🎵
この配役のバランス感覚も素晴らしいのだが、戦後イタリア映画の出自は、素人役者を使う、ネオリアリスモだから~
などとエスプリを感じたよ~🐱 巧い

更に、パリのアパルトマンの屋根の景色とか、フランシス・ベーコンの絵画を彷彿とさせる、磨りガラス超しの人物の影とか、遠景でのダンスシーンは、ベルトルッチの『ラストタンゴ・イン・パリ』(1972)的な描写、そもそも妙に、赤裸々な男女の絡みの場面が多い😻🎵w

冒頭の方の中華料理は、『ラストエンペラー』(1987)

更に極めつけは、二人の喧嘩の後の、列車移動の移ろい行く景色の美しさは、明らかに、『暗殺の森』(1970)オマージュ

見ように寄っては最後の、複雑に実った大樹に寄りかかる、ゴダールの姿は、10ミニッツ・オールダー『水の寓話』(2002)とそっくり
(因みに、このオムニバス映画、10ミニッツ・オールダーに於いて、ゴダールも『時間の闇の中で』という作品を発表しており、その映像感覚の凄まじさに、圧倒ました)

ここで、パケ仮説、『ラストタンゴ・イン・パリ』という即興映画の極地から、豊かな芸術性を残しながら、大作映画に生還した、
ベルトルッチのフィルモグラフィー自体が、ゴダールと対を成している、批評性を有しているのでは無いか❗


そして、映像リミックスでここまで表現しうる、ミシェル・アザナヴィシウスの映画に対する秀才性は、見事に、フランス映画らしい高さを示している




2023ー50ー41