ベルサイユ製麺

あさがくるまえにのベルサイユ製麺のレビュー・感想・評価

あさがくるまえに(2016年製作の映画)
3.4
ベッドの若い男女。先に起き出した青年、シャツを着て、窓からヒラリ。まだ夜明け前、そのままチャリで走り出す。
同じ頃、屋根伝いに這い出てくるスケートの青年。
バンで待つ仲間と合流し、彼らは海に向かう。
3人はまだ薄暗い海にサーフボードで漕ぎ出す。活き活きとうねる巨大な海にぶつかっていく若者たち。生命が静かに迸る素晴らしい撮影!

帰り道、アイスバーンを走る彼等のバン。路面の風景が海面の風景にオーバラップして見える。…ウトウトしている?
間も無く大きな物音がして、画面暗転。

ひとりシートベルトをしていなかった青年、自転車の彼は頭を強く打ち、脳に大きな出血、臓器は無事、いわゆる脳死状態。
病院に駆けつけた彼の母と別居中の父はまさかの光景に悲嘆に暮れます。医師は彼の両親に彼の臓器を提供してくれないかと呼びかけますが、全ての事が突然過ぎて即決出来ません。移植可能なタイムリミットが迫る中、彼等の決断は…?

シーン変わって別の家族。友達関係のように仲の良い、母と二人の息子。しかし母は心臓に重い疾患が有り、このままでは長くはなさそうで…。

繊細でリアルな人物描写。かつての青年の思い出と家族の風景、人間関係、医療機関の対応などを半ば淡々としたタッチで描きます。誰に肩入れするでもなく、誰かが善いとか悪いとか、って訳でもなく。

あらすじからなんとなく、エモーショナルに結ばれる新たな絆の物語なんかを連想してしまいそうですが、実際にはそういう事も無く、最後までドラマチックな事は(少なくとも表面上は)起こりません。言わば、“現実に起こりうる事”をちゃんと、丁寧に描いただけ。
日夜、不慮の事故は起こり、いつでもタイムリミットと戦う患者がいて、最期の使命として身体を捧げる命が有り、誰かが命を引き継いで、新たな日常の続きが訪れる。そんな、普段は想像の外に有るだけの只の日常に光を当て、興味を持たせるまでがこの作品の役割です。
有名な役者が出ているわけでも、派手な見せ場がある訳でも無い、流行とは無縁の映画ですが、例えばたまたまこの作品を見た人が、「そういえば」と健康保険証の裏側を見てくれたとすれば、この映画は大成功なのに違いありません。命が尽きたその後でも、誰かのヒーローになり得るのだと思えれば、この作品の現実に働きかける力の大きさに、イマジネーションの豊かで真っ当な有りように感嘆してしまいます。

もしもの時、出来ることなら、例えば私の腎臓で好きなものを食べる誰かがいて欲しい。私の肺で、心臓で、目一杯スポーツを楽しんで欲しい。私の眼で美しいものをたくさん見てほしい。
現世では誰の役にも立てず、ドス黒い魂に縛られ続ける惨めな身体にいつか自由な旅をさせてあげたい。