ケーティー

色即ぜねれいしょんのケーティーのレビュー・感想・評価

色即ぜねれいしょん(2008年製作の映画)
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仏教系高校の異色な校風や個性ある人物を絡めつつも、男子高校生の普遍的なドラマを描いた作品。


不良と体育会系が謳歌する仏教系の高校で、今一つ地味な生活を過ごす主人公が、フリーセックスを求めて隠岐島へ行ったことがきっかけで、自分の生き方を変えていく……。

話の構成が良くできている。冒頭周りにあわせてやる気なく朝礼でかけ声をしている主人公が、ラストは主体的に声を出すようになる。決して大きな変化ではないが、隠岐島での滞在を中心に、文化祭のステージで歌を披露したことなどをきっかけに、主人公が自分にとって大切なものとは何かに気づき変わっていく。

主人公はあくまでも地味な高校生であるが、秘かに流行の影響も受け、空手やギター(自作の歌を一人で部屋で歌う)をするような学生。しかし、ヒッピーの家庭教師(この出会いが後に隠岐島で主人公が友人よりヒゲゴジラに心を開く伏線となっている)が来たことで、自分が好きなものは音楽なのではないかと気づき始める。そんなある日、友人のフリーセックスが盛んであるという触れ込みで、童貞男3人で隠岐島のユースへ滞在しに行く。するとそこで、オリーブという奔放で魅力的な同年代の女性に出会ったり、自分より歌の才能があるヒゲゴジラ(全共闘崩れの若者)と出会い自分の歌に初めは自信をなくすもやはり、歌の楽しさに目覚めたりする。そして、隠岐島から帰った主人公は、本当に自分が大切にしたいもの(※)を見極めていき、文化祭のステージで一人歌を披露する。

ステージで主人公が一人、自作の歌を歌うシーンを観たとき、地味な学生がステージで一人ダンスを踊るシーンがハイライトの映画「ナポレオン・ダイナマイト(邦題:バス男)」を思い出した。「ナポレオン・ダイナマイト」もまた、クレイジーな周りの人に囲まれつつ、主人公のなんとも言えない淡々とした日常を描き、地味目な友人の生徒会長選挙立候補をきっかけに少し主人公の日常が変わるという話である。

どこか日常から逸脱した人との出会いや友人の誘い(本作はフリーセックスができると言われ友人たちと隠岐島に行く)がきっかけで、主人公の日常が少し変わるという根本のフォーマットは「ナポレオン・ダイナマイト」と本作は通じている。しかし、本作は隠岐島滞在という道具を使ったのに対し、「ナポレオン・ダイナマイト」は何も変わらない日常の中で(注)友人の生徒会長選挙立候補という事件はあるがそれはあくまでも日常の中での事件)、その微妙な変化を描いているという意味では、作者がより難しいことに挑戦しそれを成し遂げているといえる。決して本作が悪いという意味ではないし、隠岐島のロケーションの魅力もあり映画としていいのだが、あくまでも技術的なことをいえば、隠岐島を使って主人公の変化を描いた方が簡単ともいえる。

脚本が「リンダ リンダ リンダ」や「モラトリアムタマ子」の向井康介さんだけに、女子のかわいさを描くのがうまく、臼田あさ美さんがめちゃくちゃかわいいのもあいまってオリーブが魅力的。これぞ童貞の高校生男子の理想という感じである。だからこそ、童貞ならではの純粋さや不器用さを感じさせる後半の京都での主人公とオリーブのシーンは切ないし、一方でその主人公の純粋さに青春のかがやきも感じる。
ただし、日常の何気ない会話でドラマを見せていくことが得意な向井先生の脚本にしては、モノローグが多いことは本作のテイスト上仕方ないにしても、隠岐島でヒゲゴジラが哲学や理想を直接的に語るシーンが多く、雄弁すぎる嫌いがある。もっともこれは、いい雰囲気は出しているのだが、ヒゲゴジラを演じる峯田和伸さんの演技力が足りていないのかもしれない(もっとも役としての雰囲気はよく、つい最近までやってた「高嶺の花」より全体としては全然よいのだが)。映像の脚本は、(長台詞をこなせない)舞台俳優が演じるわけではないのでセリフを敢えて短くし、あらが出ないようにする脚本もあると聞くが、そういうこともやはり大切なのかもしれない。せっかく役者の雰囲気がよくても、セリフで興醒めさせては損になりうる。

※以下はこのレビューの注ですが、ネタバレになりうる記述を含みます










(注)具体的には、音楽と初恋の相手で今も本命の足立恭子。