Melko

リバー・オブ・グラスのMelkoのレビュー・感想・評価

リバー・オブ・グラス(1994年製作の映画)
3.7
「りんごは木の遠くには落ちない。だとしたら、もしかして私たちのいく先も決まってる?娘も私と同じ道を辿るだけ?」

空想癖のある夢見る夢子な流され女と、何でもかんでも人のせいな無軌道無責任男、イタイ大人2人の、見ててなんともイタイ逃避行feat.ドラムだけが取り柄の鈍臭オジサン

キャッチコピーが示してるように、車で走るシーンが後半たくさん出てくるロードムービーなのに、全然遠くへ行かず、車を走らせつつも近所をブラブラ、グルグルしてるだけ。
主人公は、だいぶお肌がガサつき、体がくたびれかけている三十路の子持ち女
逃避行の相棒となるのは、頭が禿げかかり、ニートのくせに態度がデカい、もうすぐ三十路の独身男

メイン2人のビジュアルと中身がお世辞にも良いとは言えないせいで、物語そのものにもなんとなく募る嫌悪感
絵の写し方や空気感は嫌いではないのだが。

自分の母性が乏しいからと言って、乳飲子をソファに置き去りはいかん。

親切な夫婦が引き取りにきてくれる
自分の感情が豊かに育たなかったのは母親のせい
この人なら退屈な日常から救い出してくれる

ぜーんぶ他責・他力本願が故に辿ることになる、主人公コージーの末路。

セコイくせに態度だけデカく何一ついいところのないリーにももちろん腹立つけど、コージーも大概だと思う。
あまりにもなぁなぁに生きてる女
流されて生きる人生が辿る道…なんて甘っちょろいモノではなく、流されて生きることで何もかも失う可能性があるのだから。

たまにYouTubeで見てる起業家応援のセミナー講師が「自分自身の人生に本気にならない人間が、会社の経営なんてできるわけない」っていつも言ってるのを思い出す
自分の人生に本気=どう過ごすことが自分にとっての幸せなのか、真剣に考えて行動すること
コージーもリーも、これが全然出来てない
やるのがめんどくさいってことまでは理解してるから、やらなくていいように自分を納得させて逃げて生きてきた人

もちろん、家庭環境や自身の健康状態によりそんなうまくいかない場合もあるけど、コージーやリーの場合は、なんとかしようと思えばなんとでもなったハズ
家でくだ巻いたり、ひたすら側転やブリッジするよりももっとやることできることあったハズ

これは、もしそうゆう生き方を選択してたら…な世界線のケリー・ライカートの想像世界の表現 そして誰にでも当てはまるお話

まさかのフルヌードを見せたコージー役の女優、人妻子持ちのムチムチボディは、同じようなテーマの映画「バッファロー’66」のレイラちゃんとはまた全然違う、刺さる人には刺さりそうな大人の魅力。30にしては目元の皺がクッキリでだいぶ老けて見えたけど。

かっけードラムをバンバン叩く父ちゃんが、ドラム以外の行動がホントに鈍臭くて情けない、、

コージーに好意を持ってくれてるっぽかったユダヤ人?が、コージーに向かって突然笑いながら「虫ケラめ」って言ったのはビビった。。しかもそれが「エモジ」って聞こえた…

自分の人生に本気なことと、本気を人に押し付けることは違うんだよな、きっと
子供の人生をより良くしたいなんて、最終はきっと親のエゴ
でも自分のお腹痛めて産んだんだから、流されてきた人生にしたって、てめえの子供の成長には責任持てって感じだよね。
反面教師な作品です、きっと
Melko

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