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女王陛下のお気に入りのokomeのレビュー・感想・評価

女王陛下のお気に入り(2018年製作の映画)
3.0
「愛の伴わない痛みは沢山ある」
「だけど、痛みの伴わない愛は存在しないの」


観ている最中、そして観終わった後もずっと居心地が悪くて、「何だか気色悪い作品だったな」と言うのが率直な感想でした。
この居心地の悪さが何なのか、未だにハッキリしないので言葉として書き起こし難い事この上ないんですが、とりあえず一番印象に残っているのは「男女の見た目の差」です。


この作品、とにかく女性の服装が格好いい。
女王も侍女も、基本モノトーン調で色味が抑えられていて、スカートの裾も不必要に広がらず機能美を感じられる仕立てがされています。と言って地味なわけでは無く、要所要所に設えられたレースやフリルが何ともいい塩梅にフェティッシュな女性らしさを印象付けてくれます。個人的に黒レースの眼帯がクリティカルヒットでもうもうもう!!!
一言で言えば「モダン」。
メイクもそばかすが見えるほど薄く、表情の変化が肉感的ではっきりと読み取れる。

対して男性は、
これがもう全員コテコテの「中世感」。
フリルもレースも、女性の比じゃ無いほどてんこ盛り絢爛豪華で、うず高いカツラまで被っている。顔にはべったりと厚化粧がされていて、表情なんて窺い知る事が出来ません。全体的に人間というよりコメディリリーフ、道化師のよう。
この印象はきっと間違ってなくて、要は今作に登場する女性たちには、男なんて常にこんな馬鹿げた存在に見えていると言う示唆なのだろうと思います。

実際、主役の三人の女性たちにとって、男は道具程度の存在でしかない。
没落貴族の娘アビゲイルにとっては、もう一度成り上がるための手段。
女王に代わり実権を握る公爵夫人サラにとっては、地位を明確にするために抑えつける対象。
そして、虚弱体質で情緒不安定なアン女王に至っては、まともにコミュニケーションをとる男性は作中一切登場しません。
実像を持った人間として異性が入り込む余地など一切無く、物語はこの三人の関係性、愛憎劇に終始しています。

……ああそうか。
最初に述べた居心地の悪さの理由。書きながら思いついたんですが、それはもしかして、ここまで男性の存在をシャットアウトしているのに、この三人の住んでいる世界、宮廷の内情そのものが徹底した男根主義に支配されているからなのかもしれません。
目の前で犯されそうになっているのに、「やるなら納屋でやれ」と誰も助けようとしない狂ったモラル。自慰を見せつけられたり、夜這いされたり、被害に遭う描写は圧倒的にアビゲイルに偏っていますが、「女のくせに」と何度も罵声を浴びせられるサラや、政治的に利用されるだけの虚しさに打ちのめされているアン女王も変わりはないでしょう。

今作、主演三人にはそれぞれ必ず一度、嘔吐するシーンが存在します。これは、そんな男性本位の世界を飽食に見立てて、彼女たちが何とか呑み込もうとした結果なのかもしれません。
ただ、アン女王とアビゲイルは自分から食物を口にしているのに対して、サラだけは他人から「呑まされた」事には注目したいところ。


一見アン女王を傀儡として利用しているようなサラですが、実は打算的な態度の下に思いやりの心がある事が作中明確に描かれます。友人としてアン女王を慕う気持ちは紛れもなく本物で、手紙を書く時にも本音が先行して儀礼的な文章が出て来ず悩んでしまうほど。それを踏まえれば、彼女の政治的な立ち回りも、朝令暮改なアン女王の威厳を守るためだったと理解出来ます。
そして、戦争の最前線に自分の夫を送る事になってしまっても、「自分が正しいと思った判断をした」と言いきって強い信念を見せつける。
奔放に生きているようで結局男性優位の世界を受容するアビゲイルや、ただ与えられる物に依存するだけのアン女王とは違い、彼女は作中唯一の、確とした自己の価値観と精神的な自由の持ち主なのです。

そんな彼女は、馬鹿げた価値観の蔓延る世界を自分から受容する事は無い。紆余曲折ありながらも、やはり最終的には宮廷から姿を消してしまう。


余談ですが、議会でサラが支持していたホイッグ党は「赤」、敵対するトーリー党は「白」と人物の服装で色分けがされています。サラに担がれたアン女王は言わば「赤の女王」。
重要なモチーフとなるウサギや、とあるシーンでの「首を刎ねよ」というセリフなど、所々に『不思議の国のアリス』を連想させる要素が存在します。


閑話休題、大事な友人を自ら追い出してしまい、「赤の女王」で無くなったアン女王は、今度こそ本当に都合の良い政治の傀儡となってしまう。
女王の寵愛を勝ち取ったかに見えたアビゲイルも、結局は友人として対等な立場には立てない。単なる「お気に入り」でしかないと思い知らされる。

ラストシーン、そんな二人の虚ろな表情に重なって映るのがサラであればまだ救いはあった。
けれど、映ったのは「ウサギ」。
狂ったワンダーランドに取り残されて、成熟せずに死んでいくだけの象徴。
そして極めつけは、エンドロールで流れるエルトン・ジョンの楽曲『Skyline Pigeon』の歌詞。


わたしを自由にしてください
鳥籠を陽に向けて開け放って
あなたは遥か遠くまで離れてしまった

……
ヨルゴス監督、あなたどんだけ意地悪なの!?
思い出せば思い出すほど、特にアン女王の心情を考えてしまって、もう今は財布に入ってる映画の半券を見るのも辛い。
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