Ren

ザ・スクエア 思いやりの聖域のRenのレビュー・感想・評価

3.0
確かに面白い。ゾワゾワとしたイヤさも居心地の悪さも味わえる。でも長い。飽きかける。でも長くて飽きたなと油断していると突如やって来る異常な緊迫感に惹き込まれる。面白い。でもよく分からない。

家族間の綻びにフォーカスを当てた『フレンチアルプスで起きたこと』と、ダイナミックで明快な逆転劇で社会構造そのものから皮肉った『逆転のトライアングル』と比べると、どうしても軸が曖昧で掴みきれない部分が多かった。
自分は、ある既知の枠を超えた瞬間の気まずいあるあるばかりを寄せ集めたブラックコメディとして楽しんだ。

アドリブっぽいくだりまで全て原稿を固めて挑んだスピーチの場で、プチアクシデントにより本当にアドリブせざるを得なくなったら。インタビューの場で、閲覧席にトゥレット症候群の人物がいたら。
場面が変わる度に、安全圏でのうのうと生きる上流階級の人間たちが予想外のことに対面したときのおどおどした情けなさを嘲笑していく。

最もティピカルなモンキーマンのシークエンスが白眉。最初は楽しんでいた催し物が、次第にこれはどう対応したらいいんでしょう....?という気まずさに変わり、ピンと張り詰めた一触即発の事件現場のような雰囲気になるまでの緊迫感が見事。
しかし一人がその空気を破った瞬間に均衡は崩れる。誰かが率先して動いてくれれば、それは予想外のことではなくなるからだ。続け続けと、水を得た魚のように一斉に動き出すセレブ達の恐ろしさと滑稽さよ。

「ザ・スクエア」になぞらえて考えるのなら、今作は「枠の外側に目を向ける」ことの映画だと解釈した。
その枠内では平等であると謳った、たかが4m四方のアート「ザ・スクエア」を展示したところで、現実社会ではセレブはホームレスを無視して生きている。アートの中だけに目を向けるな、というアート。

もちろん枠とは劇中の「ザ・スクエア」のことだけではなく、四角く切り取られたもの、スマホ画面や映画そのものでもある。
謝罪ビデオを撮っている場合ではないのだ。直接謝罪に行け。今作の主人公のように、スマホに撮ったリアルタイムでない謝罪は、結局謝罪や反省でなく別のものへ矛先が向いてしまう。
四角い画面に映された『ザ・スクエア 思いやりの聖域』という151分の映画を観て「なるほどね〜」と頷いて終わっている場合ではないのだ。映画を消してから、そこから私たちは思いやりで生きなければ意味が無い。そういうことだと思った。
四角が印象的な映画だった。

ただ今作の真意をちゃんと汲み取れたとは思わない。いつか再見したいけどどうだろうな....。やっぱり自分は『逆転のトライアングル』が好きだ。

その他、
○ 主人公が最初から最後までずっとごちゃごちゃがたがたうるさい。最高。
○ シェフのスピーチを聞かず会場へ向かう人達。脅迫文を送るのはどうでしょうと提案する部下。結局人は他人のことなどどうでもいいのだ、という監督の価値観が如実に表れている。
○ 見てくれに拘る主人公。脅迫文のフォントにまで凝る。
○ 普通に現代アート批判としても面白い。『ザ・メニュー』を思い出した。よく分からない展示の数々。暇そうな係員。チンパンジーのような動物が絵を描いている場面では、「これと美術館に飾られるようなアートの違いを述べよ」と聞かれているようだった。
○ モンキーマンの印象が強すぎるけど、意外と他人の車を運転して擦ったところがめちゃくちゃ気まずい。
○ 体育館の床に描かれた四角の中でパフォーマンスを行うチアリーダーチーム。チアは互いの信頼と支え合いによって成り立つスポーツだ。ここが劇中で最も「ザ・スクエア」してた場所だったと思う。
○「ザ・スクエア」を広告のために動画サイトで流す(奇を衒った杜撰なプロモーションでしっかり炎上する)様を観る我々。何重にも枠が存在する、文字通りの入れ子構造。
Ren

Ren