亘

桜桃の味の亘のレビュー・感想・評価

桜桃の味(1997年製作の映画)
4.3
【生きる喜び】
人生に疲れたバディはテヘランの町を運転しながら高額の報酬で自殺を手伝ってくれる人を探すことにした。しかし誰もこの仕事を受けてくれない。ある1人の男性と話すうちに彼の心に変化が訪れる。

自殺を決めた男バディが人生に希望を見出すまでを描いた作品。基本的に長回しの淡々とした作品で、中盤まではバディと荒涼とした風景がメイン。だけど特にトルコ人の剥製師との会話は心に響くし、その後の風景は美しくてまさに生きる価値を感じる。

本作の主題は、生きる喜び。死んでしまったらこの美しい世界を見ることができない。桜桃を味わうこともできない。まさにタイトルはこの主題を表している。ここで印象的なのは、タイトル「桜桃の味」は「すべてを拒み、全て諦めてしまうのか?桜桃の味を忘れてしまうのか?」の一ヵ所でさらりと言われるだけ。その一瞬を切り取って作品の主題を表し、タイトルにまでしている。桜桃の味は生きる喜びの象徴なのだ。

[相手探し]
中年男性バディは、人生に疲れていた。そこでテヘランの町を運転しながら自殺を手伝ってくれる人を探すことにした。彼の出す条件は、郊外の工事現場の穴で彼が一夜過ごし翌朝彼が起きなければそのまま埋めてほしいというもの。そして助けてくれた人に報酬を与えようというのだ。テヘランの街中には仕事を探す人が多い。それでも彼は用心深く雇う相手を見定める。

[クルド人兵士]
彼は兵舎に帰る若いクルド人兵士に目をつける。帰舎時間まで余裕があることを知ると、彼は兵士を車に乗せ自らの兵役時代の話をしながら自殺予定地まで連れていく。ただそこで兵士は、バディの話を固く拒む。たとえ大金をもらってもその仕事をしたくないというのだ。バディは「君は勇敢だろ?」とも促すが兵士は拒み続けついには逃げ出す。兵士は具体的にその仕事がなぜ嫌なのか言えなかったがただ道徳的に避けたかったのだろう。

[アフガン人神学生]
バディは機械小屋の監視役と時間をつぶした後、その友人であるアフガン人神学生を車に乗せる。そしてアフガン戦争などについて話した後に自殺ほう助の依頼をする。すると神学生もやはり仕事を断る。神学生は、自殺も殺人もイスラムの教えに背くことや罪であることを示して拒むのだ。一方のバディは「不幸であることも罪だ」「同情はできても他人の痛みを感じるのは不可能だ」と突っぱねる。言ってみれば自殺を止めようとする相手を論破したのだ。そして神学生もまたバディから逃げていく。

[トルコ人剥製師]
その後バディは、トルコ人で自然史博物館で剥製を作るバゲリを車に乗せる。バゲリに対しては早いうちから依頼をするが、ここでバゲリは自身の自殺失敗談を話す。彼もまた一度自殺を試みたが失敗し、偶然見つけた桑の実の美味しさに救われたのだ。そして彼は世界の美しさや生きる喜びを説いてバディを説得する。夜明けの太陽、夕焼け、星空、満月、泉の水、四季の果物、桜桃の味・・・バディも反論しなくなるし、バゲリと一度別れた後には美しいマジックアワーを目にする。前の2人と異なりバゲリは、生きなければならないと説得するのではなく、バディに生きる喜びを説きバディに自発的に生きたいと思わせたのだ。その後の依頼内容修正は、彼の心の揺れを表しているだろう。

[実行]
そして彼は工事現場の穴に入る。穴からは美しい星空とテヘランの夜景。まさにバゲリの説く世界の美しさだろう。
ただ肝心の翌朝何が起こったかは分からない。急に本作のメイキング映像に変わる。少し期待とは異なる終わり方だけど、おそらく自殺がイスラムの教えに反する行為だからこそフィクション性を見せているのかもしれない。ただ同時にバディ役の俳優含め皆が談笑する姿を見せることで世界の美しさや生きる喜びを表しているように感じた。

それから本作では以下の2点が気になった。
・依頼相手選び
バディは当初、テヘランの街中を運転しながら仕事の依頼相手を念入りに見定める。特に自ら仕事を欲しいという人は無視する。おそらく彼自身自殺を決心したもののどこか止めてほしい気持ちがあったのかもしれない。

・3人の違い
バディが声をかけた3人は、皆バディの計画に乗り気ではないがアプローチは様々。青年のクルド人兵士はただ頑なにほう助を拒み、若いアフガン人神学生はイスラムの見地から自殺を止めようとする。ただバディ自身に自殺を止めてほしい思いがどこかあっても、”禁止”ではバディの心は動かない。最後の中年のトルコ人剥製師はバディ自身に積極的に生きたいと思わせてこそ彼の自殺を止められたのだ。
そして相手の年齢が徐々に上がっていくのもポイントだと思う。若いころはもしかしたら本当の生きる価値が分からないかもしれない。バゲリの説得は長く生きて自殺未遂もしたからこそのものなのだろう。

また3人の民族がそれぞれ異なるところもポイントだと思う。3人はそれぞれクルド人、アフガン人、トルコ人、そしておそらくバディはペルシャ人。つまり生きるというのは民族に関わらず普遍的なものなのだ。

印象に残ったシーン:バディがマジックアワーのテヘランを見下ろすシーン。バディが夜景を見るシーン。
印象に残ったセリフ:「すべてを拒み、全て諦めてしまうのか?桜桃の味を忘れてしまうのか?」
亘