ベルサイユ製麺

四月の永い夢のベルサイユ製麺のレビュー・感想・評価

四月の永い夢(2017年製作の映画)
5.0
観終わって、直ぐに倒れこみ突っ伏して、暫く動く気が起こらなかった。とても、とても嬉しかった。思えば、こんな映画に出会うために、ずっと映画を観続けてきたのだ。




桜散る中に佇む、喪服の若い女性の姿。彼女の視線?の先には白いシャツを着た男性のイメージ。顔は見えない。



質素でどこか古めかしい、時間の止まった様ななアパートの部屋で目を覚ます初海。扇風機が緩く回り、ラジオの音が薄く響く。身支度をして出掛けようとして、郵便受けの手紙に目が止める。……………

初海は蕎麦屋でアルバイトをしている。若者らしいはしゃいだ感じは無く、地味な身なり。丁寧な受け答え。彼女は以前は教師をしていたのだが…。
馴染みの賑やかな客の一団。どうやら職人達らしい彼らの中の若者がひとり、初海の方を気にかけているようだ。彼は会計のタイミングで初海に声を掛けた。「今度、手拭いの個展をやるので、よかったら…」

蕎麦屋が近々閉店する事を聞かされ、いつも以上に力無く日常を過ごしてしまう初海。古めかしい喫茶店で時間を潰し、歩き、名画座へ向かう。
鑑賞後、劇場のロビーで突然声を掛けてきたのは、かつての教え子の楓。聞けば彼女は駆け出しのジャズシンガーなのだそうだ。めちゃくちゃに懐っこい楓に押し切られ、初海は彼女を泊める事になってしまう。帰ると彼氏に殴られるらしいから…。

若い手拭い職人の志熊。実は初海は個展には行ったのだが、会場で彼の姿を見かけそのまま踵を返してしまった。
ある日、顔馴染みの界隈のバーベキューで初海は志熊と再会する。ひたすらに誠実な彼の人柄に初海は少しづつ惹かれていく。


…でも、初海の時計はまだ止まったまま動き出さない。
3年前、“最愛の人”健太郎を亡くした日から。



ものすごく静かで、小さな物語です。突飛な事は何も起こらないし、ジャケットやタイトルの雰囲気から勘違いしてしまいそうですがサスペンス的な作品では有りません。退屈に感じる人もいるかもしれないけれど、自分には完全に丁度良かった。これだから良かった。
主演の朝倉あきさんの実存感が凄まじいです。これは演技なのだろうか?自然すぎて不自然ですらある…。役者さん、みんな良かったんだけど、朝倉あきさんが全てを持って行ってしまう。いや、持ってきてしまう。彼女の生活の描写が本物過ぎて、頭の中でフィッシュマンズの“ずっと前”が流れ出してしまう。
物語の小ささ、出来事の細やかさに大変に感銘を受けました。受動的に動かざるを得ないような大きな出来事に出会うのよりも、心の奥に小さすぎて感知できないような空白が出来る事の方が遥かに遣る瀬無い。ずっとこのままになってしまうのではないか?ホントはずっとこのままで、居たいのではないか?
この監督の脚本、凄く好きです。誰も見ていないことは描かない。分からない事は分からないまま。凄く誠実。神ではなく、いち目撃者。
撮影の的確さにも驚きました。全てのシーンが絵画的に美しく、強固な意志を感じさます。
横移動の長回しと楓の歌唱のシーン、スティーブ・マックィーン監督の『SHAME 』に似た描写が有ったと思うのですが偶然かしら?負けず劣らずビシっと決まってましたよ。


サスペンス映画のように観終わってスッキリしたり、アクション大作みたいにストレス解消出来たりはしませんが、大切な人との時間のように、何処までも深く寄り添える、静かで芯のしっかりとした作品です。…まあ、人は選ぶと思います。人と付き合うのと同じように。




…というのが、映画自体の感想です。
丁度、去年のこの位の時期に、自分は最愛の、最後と決めた人とお別れしました。映画のような悲劇的な出来事が有ったとかでは無くて、止む無くその選択をしたのです。お別れの挨拶も無く、切断するように終わった。
その人は、裕福な実家を飛び出してわざわざ安アパートに住み、テレビを持たずラジオを聴き、“便利すぎるから”とスマートフォンを解約しらくらくホンを持つような人でした。小さくて少ない事を愛する人。バカがつくほどのお人好しで、でも決して流されない人。
きっともう会えないけど、心の中にずっと居て微笑んでくれる人。逆光を振り返るようで、顔は全く思い出せないけど。

この作品を観ながら、ずーっと彼女の事を考えていました。…いつか、彼女もこの作品に巡り会えると良いな。今もおんなじ映画ばっかり観てますか?ラジオ聴いてますか?元気でいますか?

ホントはスルーしようと思っていた作品だったのだけど、フォローさせていただいている方のレビューで気になって鑑賞しました。本当にこの作品に出会えて良かった。四月の内に観ることが出来たのも幸運としか言いようが無い…のだけど、自分は取り敢えずもう一周、夢の中に居ようと思います。進むしかなくなるか、夢すら閉じてしまう時が来るまで。