LalaーMukuーMerry

フジコ・ヘミングの時間のLalaーMukuーMerryのレビュー・感想・評価

フジコ・ヘミングの時間(2018年製作の映画)
4.3
フジコヘミングが世に出てきた時、私の中では衝撃があった。60代後半という年齢でこうして有名になったということ、名前からしてハーフのようだし、これまでどういう生涯を過ごしてきたのだろうという素朴な興味もさることながら、彼女の「ラ・カンパネラ」がとても素晴らしかったから。
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このドキュメンタリー映画は、記憶の断片を紡ぎながら彼女のこれまでと、現在の暮らしぶりや公演活動の様子が交互に描かれて行く。古い記憶を甦らせることができたのは、少女時代に書いた絵日記が残っているためだ。きれいに色づけされたその絵には英語で説明が書いてあって、楽しく集中して書いたと思われるとてもレベルが高いものだ。父親がスウェーデン人のデザイナーだというから、その才能が遺伝しているように感じた。
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その父は戦前の日本の生活になじめず日本を去り、東京音楽学校(現:東京芸大)卒の母、大月投網子(とあこ)は女手一つで子供たちを育てた。ピアノレッスンは始め母から、ついで東京芸大の教授だったレオニード・クロイツァーに師事して才能を認められる。けれど戦争が酷くなり岡山に疎開しておそらくピアノレッスンは中断。戦後、母は米軍相手にピアノの仕事をして子供を育て、フジコは東京芸大を卒業した。しかし両親の事情から無国籍だった彼女は、希望していた海外留学の道に進むことができなかった。
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ようやくかなったベルリン留学をへて、海外の著名な音楽家たちに絶賛され、ピアニストとしてスタートすることになったのは30才目前だった。ところが公演の前に風邪から耳が聞こえなくなるというアクシデントのためデビューを断念。以降は音楽教師としてヨーロッパを転々とする暮らしが続くことになる。年に一度のピアノリサイタルをする程度、それでも毎日4時間のピアノの練習を欠かすことはなかった。
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そんな彼女に神様が手を差しのべてくれてたのが1999年、NHKのTV番組がきっかけで大ブレイクが起きた。現在は世界各地に拠点(自分の家・部屋)を持ち、世界中で公演活動を続けている。
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子供時代の頃の家具や室内装飾を愛する彼女の家の様子、犬や猫を愛する暮らしぶり、街の貧しい人への施し、留守中の彼女の家やペットの面倒を見ている若い音楽仲間たち・・・ 彼女の人間性に触れてその魅力がより深まって、彼女のピアノを聞きながらとても豊かな時間を過ごせました。
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~人生とは長い時間をかけて自分を好きになる旅である~