シュトルム凸映画鑑賞記録用改め

さよならの朝に約束の花をかざろうのシュトルム凸映画鑑賞記録用改めのレビュー・感想・評価

4.0
不老長生の種族イオルフ族(まあエルフみたいなものです)や竜が存在し、しかし彼らが消えゆく異世界を舞台に、イオルフ族の二人のヒロインを主軸にして、岡田麿里が女性の目線で親の愛を語り切った。この基本的な視点がぶれなかった事をまず評価したい。
そして、老化しない、変化しないという種族の生き方に固守するイオルフ男性を、老化しないということは人間的にも成長しないことだと描き、子供が子供を育てるようなおぼつかなさから段々と人の親へと成長していくヒロインが種族の殻を破るという対比的な図式もきちんと錬られている。このイオルフ男性クリムの否定的な描き方があるからこそ、これがイオルフ対人類という人種間対立の物語ではなく、男性対女性のある種の緊張関係を孕んだ問題に脱皮して、より高次な普遍性を獲得している。
母親はどのように子を愛するのだろう。その答えはマキアが「子育ての苦労」を回想するシーンに端的に物語られている。我々父親は、子供との思い出を回想するとき、特別なイベント、慶事、楽しい思い出が中心になるのではないか。母親にとっては子育ては日々の戦いである。汗と労苦に彩られた日々の子育て=ヒビオル(日々織る、日々骨を折る?)の中にこそ親の愛がある。
また、男達が命を奪いあう戦争と、女達の命を生み出す戦い=出産を平行して描き出す脚本も観客に伝わりやすく技巧的に優れていると思います。
血のつながらない、いつまでも少女の外見を持つ母親に対して複雑な感情を抱く思春期の息子に対して、母マキアはあくまで親の愛、それも無償の愛しか抱いていないのが綺麗に伝わってきて、それが故の子の煩悶にも説得力を増している。
もう一人のヒロインであるレイリアが最後に娘に対して取った行動に賛否があるかもしれないが、私は何か爽やかなものを感じた。時間軸のズレた親子に取って、現時点での別れと、将来での別れとに本質的な違いはない。私は飛べる!と叫んで、執着を断ち切ったレイリアにより、紋切り型の母親像を越えた女性像と物語に対する複雑な陰翳がもたらされている。
ラストシーンは素直に泣けますね。ここはもうこの一言で。未見の方も劇場でアニメーションならではの、マキアの表情の描き方をぜひ堪能してください。