茶一郎

ヴィクトリア女王 最期の秘密の茶一郎のレビュー・感想・評価

3.6
 おばあちゃんが職権を濫用して若い男の子と仲良くするという萌え映画。
 王室の豪華な食事もジャンクフードのごとくムシャムシャと食い散らかす、偏屈で自分勝手なヴィクトリア女王の元に、当時イギリス領であったインドから若い男性が訪れる。「心をひらいた。人生が愛おしくなった」などというキャッチコピー、そして監督がS・フリアーズと来ると、つい「なるほど時代遅れの女王が人と触れ合う過程で心を開く『クィーン』の変奏版ね」と思ってしまいますが、全然、そういう映画ではないからフリアーズ恐るべし。

 初期作『グリフターズ』また『わたしの可愛い人 シェリ』でも年の差の恋愛を描いてきた「フリアーズによる『こんなオバさんでも恋して良いの?』」とも違う、この『ヴィクトリア女王』はこの系譜のお話に必要不可欠な「心を開く過程」をかなり省略して描き、ヴィクトリア女王、多感な女子高生くらいコロっと心を入れ替える始末です。
 その中盤で、本作『ヴィクトリア女王』は、『クリスマス・キャロル』的な偏屈な主人公が心を開く物語に重きをおかず、自分好みの男の子を自分勝手に出世させたヴィクトリア女王と、彼女に仕える王室の者、インド人への差別意識を持った政治家たちとの反発を深く描く作品だと気付きます。

 財産で重要な文化施設カーネギー・ホールを占領した音痴歌手を描いた近作『マダム・フローレンス』に記憶が新しい、S・フリアーズ監督は常に「社会規範として『正しくない』人物」を描いてきた作家ですが、本作『ヴィクトリア女王』も職権乱用する「正しくない」ヴィクトリア女王と、ある嘘を抱えた「正しくない」インド人・アヴドゥル、二つの「正しくなさ」を重ねた実にS・フリアーズ監督らしい作品でした。
 そしてその「正しくなさ」の二重奏が、今もなお続く無意味な差別意識を浮き彫りにするという、ましくトランプ時代の作品『ヴィクトリア女王』。いやはやジュディ・デンチに萌えキャラを演じさせるのも凄いなァ……
茶一郎

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