とむ

フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法のとむのネタバレレビュー・内容・結末

3.8

このレビューはネタバレを含みます

学生の頃に見た作品で「メイジーの瞳」という映画があって、それがすごい思い出に残っている。
それと同じで、大人が何をしているのか、具体的なことはわからないという視点を観客側は追走することになる作品だと思います。


それは、子供が主体に撮られているカットの組み方であるとか、
水着の写真撮ろう!と母親に誘われるシーンの、本来の目的とは裏腹に、ただただ楽しいことをしている様な写し方であるとか、
ムーニーが入浴中のお風呂に突然入ってくる「ある男」が、画的には写らない演出であるとか…

そういったひとつひとつの細かい演出から見て取れる。


だから、この映画の最後の最後でこれまでしてきたことの断片断片に、
実は取り返しのつかないことも含まれて居たことにムーニーが気付いてしまう。
ジャンシーにお別れを言いにきた彼女を見て、観客はこう思う。

「子供って、こういうことするものだよね」


周りの決定事項には逆らえない。
無力な彼女はもう全てを諦めるしかないのだと。
「大人」な僕たちは冷めた目でスクリーンを観ている。


しかし、ジャンシーの「とある行動」で、物語は劇的な方向への飛躍を見せる。
それまでムーニーが彼女に対してそうしてくれていた様に、
「無力」な彼女は、妖精が金を集める虹の麓(自分の知らない場所)へと導いてくれる。


そうして彼女たちは、
僕たち観客側へとこう投げかける。

「子供って、こういうこともできちゃうんだよね」
とむ

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