るる

マノロ・ブラニク トカゲに靴を作った少年のるるのネタバレレビュー・内容・結末

3.2

このレビューはネタバレを含みます

ずっと見たかったやつ。期待しすぎたというより、求めていたテイストと違ったかな…邦題に惹かれていたので、トカゲに靴を作った少年時代の思い出のイメージが節々に挿入されるのかと思いきや。密着取材というより第三者へのインタビューが多く、音楽も好みに合わなくて、イマイチ乗り切れないドキュメンタリーだった。

当時の実際の映像なのかイメージ映像なのかよくわからなくて、見にくいな、と困惑していたら、差し挟まれた再現VTRに閉口してしまった。若い頃のマノロ、そっくりさんを起用したもろもろ、画面が保たないと感じたので冷めてしまった…うーん。

もっともっと靴作りの様子を見せて欲しかった気持ち。ファッションショーの写真や映像って、足元がきちんと映ってないことが多いからこそ、歩くモデルの足にフォーカスを当てた映像をもっともっと見たかった…残念。

ジョン・ガリアーノとキャッキャしてる様子は楽しそうでなにより、可愛らしかったし、
リアーナが喋ってるあいだじゅう、うっとりと彼女の顔、首周りに見惚れている様子は面白かったけども。

高い声で叫んだり、なかなか奇矯な人なんだなと伝わってきて面白かったし、孤独な人だが、フォーシーズンズ、ホテルの従業員たちとは家族のような関係だと唐突に紹介されたのには苦笑した。もうちょっとその絶妙な距離感とやらを映像で見たかったけどな。

性的な意味で足を愛でているわけじゃないとマノロは否定していたけれど、他の出演者がみんな足フェチと足と靴にまつわる官能性について語ってて苦笑してしまった、
しかし、あの程度のベッドシーンならわざわざイメージ映像いらねえと思ったな、妙な生々しさに辟易、どうせなら足フェチらしい映像を見たかった
オープニングとエンディングのアニメーションは想像力に溢れてて悪くなかったけれども…

それからマノロは自分を芸術家ではなく職人だと主張していたけれど、他の出演者に芸術家だと語られていたり…

まあ、チグハグな感じのするドキュメンタリーで、ちょっとなあ。

映画というよりテレビっぽい気もしたけれども、『セックス・アンド・ザ・シティ』『マリー・アントワネット』など、彼が関わった映画を引き合いに出したり、映画にした意味はわかった、ディケンズの赤い靴(アンデルセン童話じゃなくて?ディケンズが赤い靴について書いてるの?グリム童話の小人の靴屋なんかも連想したけれど)よかったな…『山猫』の魅力について本人の口からもうちょっと聞きたかった気もする

ミューズがたくさんいる/いたあたり、へええと。思い入れをその作品と合わせて聞きたかったけれども、たぶん、そんなに饒舌に理路整然と語ってくれるような人じゃないんだろうなとは察した。
「(私が作った靴を)売る気がないならサヨナラだ」とさらりと言われた彼が凍りつく様子、すごかったもんな…
印象的だったミューズについて尋ねられて街で見かけた老女を上げるあたり、明らかに質問者の期待とは違うんだけども、「一般人が履きこなしてくれているのが一番嬉しい」という言葉が素朴で率直で本当に良かった。

ただアフリカに関するパートについては、やっぱり、文化の盗用だとかオリエンタリズム、アフロフューチャリズムという言葉が頭をよぎってしまって、うーん…「彼の思うアフリカは私たちがイメージするアフリカと違う」って奥歯に物が挟まったような言い方、気になった。
マノロの言葉や世界観に対してではなく、他の出演者の口ぶりに引っかかってしまった、「彼はアフリカを生まれ変わらせる」という言葉には辟易。アフリカをイメージして作られた靴はたしかに魅力的だと感じただけに、説明・解説しようとするとそんな言葉になってしまうの?とちょっぴり残念な気持ちになった。

だってなあ、アフリカでマノロ・ブラニクを履く人はどれだけいるのか…先進国と後進国という非対称性も感じて唸ってしまった。どうせならサバンナを裸足で歩く人々についても言及してほしかったかな…

黒人が集まる華やかなクラブに、チープで滑稽な着ぐるみのゴリラが紛れ込み、その着ぐるみの中からブロンドの白人美女が登場し、マッチョな着ぐるみの黒い毛皮、逞しい胸元に手を這わせながらステージで官能的に歌うブロンド美女の様子を拍手しながら見つめる黒人たち、って、なかなかグロテスクなイメージに感じた、靴で太鼓をたたくのは面白かったけれどもな…

西洋文化の教養として必修の古代ギリシャが引き合いに出されたことで西洋の知識階級について強く意識させられてしまったし、そもそもファッションとしての靴って、室内でも靴を履く西洋文化の産物だとまざまざと感じてしまって…靴を履かない文化圏の自由さについても、もっと見たいと考えてしまった、ファッション、モードはどこまでも西洋文化なんだなと突きつけられてしまって、うーん…

『メットガラ ドレスをまとった美術館』といい『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』といい、西洋文化圏のハイ・ファッションの、その外側、外縁を見せながら語られる言葉の無邪気さ無頓着さに引っかかることが続いていて、うーん

例えば、プラスサイズモデルの素晴らしさを屈託なく語るようなファッションドキュメンタリー映画が作られるのはいつになるだろうか、なんて。渡辺直美ちゃんとGUCCIの炎上騒動を思ったりして。

たぶん、アナ・ウィンターが引退するまで変わらないモノ、というのが業界にはたくさんあって、しかし世代交代の時期は着実に近づいてるんだろうな…などと思う。
ファッション不況、恐らくは、今後は流行を作り追わせる追うのではなく、多様な価値観、個々人のライフスタイルに寄り添った、それぞれに似合うファッション、美の追究が当たり前になっていくのではないか、
顧客の身体情報を掌握するZOZOスーツの発明は画期的で、ファストにオーダーメイドを楽しむ時代がもうすぐそこまで来てるんだと思う、もちろん、ハイブランド、アートとしてのファッションも残るとは思うけれども、ビジネスの場を拡大・確保するため、美の基準は変化せざるをえないはず…うーん、美とは?

とりあえず『人間機械』は映画館で観ようと思った。

そしてできることならメガネブランドのドキュメンタリー映画を作って欲しいんだよな、観てみたい。
るる

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